「明日考えよう」には二通りあることがわかった件【断酒して遅まきながら(汗)】
酒やめて1868日。「明日考えよう」とは、映画『風とともに去りぬ』のスカーレット・オハラのセリフで、スカーレットの性格を象徴するものとして有名であり、それゆえにこの映画のアイコン的セリフにもなっています。
酒やめて1868日。「明日考えよう」とは、映画『風とともに去りぬ』のスカーレット・オハラのセリフで、スカーレットの性格を象徴するものとして有名であり、それゆえにこの映画のアイコン的セリフにもなっています。
酒やめて1866日。ちょっと前に「「労働」が変容している今、酒との付き合い方が変わるのは当たり前だよねという話」という話を書かせていただきました。結局のところ、組織にディベンドすることなく自分の将来は自分で備えなければならない時代にあっては、自分の時間とエネルギーが労働によって毀損されるのが一番怖いわけですよね。
酒やめて1864日。先日、父の付き添いで医院→薬局と回わったのですが、薬局で待っている間にいろいろドキリとする案内が耳に入ってくるんですよ。「〇〇さ~ん、注射器4本出しときますから~」だとか「お会計は7千と〇〇円なります」だとか。
酒やめて1862日。一昨日、「人類はいよいよ、社会構造的にも酒と訣別しようとしているのか」という話を書かせていただきました。私にしては大それたテーマを取り上げたので、かなり舌足らずな部分もあり、ですから本日も深堀りというか続きというか、別角度から検証(?)してみたいと思います。
酒やめて1860日。確定申告してみて、いやいやいやいや収入の少なさにびっくりしましたよ。コロナ禍を背景に、それだけ仕事が減っているということですね。いやいやいやいやコロナのせいにしちゃいかんですな。自分の力のなさ、あるいは加齢による部分も大きいでしょう。
酒やめて1858日。ここのところずっと、酒のマッチポンプ力の恐ろしさについて書かせていただきますけれども、これはマジ実感であります。しつこいようですが酒は意思を持っているかのように、自分に都合のいいように人間を造りかえていきます。
酒やめて1856日。一昨日、「「飲酒習慣→汚部屋」が象徴する、酒の本当の恐ろしさとは」という記事を書かせていただきましたが、この「片付けられネーゼ」問題を、もうちょっと深掘りしてみたいと思います。
酒やめて1854日。ちょっと前に、断酒友から、我々の共通の先輩がコロナ引きこもりで酒量が増え、家が汚部屋化しているらしいという話を聞きました。これもねー、よ~くわかるんですよ。酒飲むとそもそも部屋を片付けようという気力が湧いてきません。
酒やめて1852日。一昨日、「寂しいから酒を飲むのか、酒が寂しさを連れてくるのか」という記事を書かせていただきました。この「孤独と酒」あるいは「人付き合いと酒」は、断酒ブログとしてもやはり一つの大きなテーマとなると思いますので、ちょっと深堀りさせていただきます。
酒やめて1850日。先日、断酒友と話していて、二人の共通の先輩がちょっとヤバいんじゃないかという話題が出ました。その先輩は、このブログにも度々登場させていますが、自称適性飲酒者で、俺は家では焼酎2杯しか飲まない( -`д-´)キリッと常々公言している人間です。