自分で自分を認められるのはもちろん、他者からも認めてもらえるという余禄もあるのですよ、断酒には当然ながら。

酒やめて、2010日。

sufficiency

リアル・大谷スゲー → 俺スゲーが実現!?

一昨日、「承認要求を満たすための最高の方法は、間違いなく断酒です!」といったことを書きました。要は、断酒したら自分で自分を認められるのだから、それ以上の承認要求充足はない( ー`дー´)キリッということです。その一例として大谷選手のことも書かせていただきました。

承認欲求の満たし方としては自分で自分を認めるのが最高だ、何しろ最高の野球選手がそうしているのだから、という仮説ですね。

いや、その前提となる大谷選手ですが、もちろん私などがその心理(?)を知る由もありません。でも普通に考えて、一流のスポーツ選手はスポーツメディアに褒められたり、コメンテーターにすごいですねとか言われたりして、それで満たされるわけがないですよね。彼らの評価軸が彼ら自身しかないのは、かなりの確率で確かだと思います。

そして、ですね、なんと断酒者はその境地に達することができ、だからこそ、断酒は承認要求を満たす最高の方法だという論法が成り立つわけで。つまり、リアル・大谷スゲー → 俺スゲーが実現したりします。畏れ多いことながら、事実だから仕方ないす。

数十年間折り合いが悪かった先輩から評価されたのだった!

さて、とはいえ、自分からだけでなく、他者からも認められればもっといいわけです。欲張りな話ですが。

で、実はこれについても、ですね、断酒すれば一部の人からはめっちゃ認められます。一部の人というのは、酒を普通に飲んでいて、まあやめたほうがいいな、あるいは減らしたいなとなんとなく思っている人たちです。そうした人は、断酒したいけど決定的な何か、いわゆる底つき体験がないだけに、断酒を遠い世界のことだと思っています。

実は先日、大学時代の同窓会がありました。別にフォーマルなものではなく、なんとなく同じメンバーで毎年集まっているのですが、今年は3年ぶりにリアル開催となったのです。そしてそれをいつも仕切っている先輩がいます。

私はその先輩とは学生時代からどうにもこうにも折り合いが悪くて、ただ社会的な地位は無駄に高い人なので娘の就職を頼んだり、そういうところは都合よく付き合わせていただいているのですが、私自身はその先輩から評価されたことなど、学生時代から数十年間ただの一度もありません。

ところが、ですね、同窓会のあった2カ月後にあたる先々週、同じメンバーと話していたら、そのうちの一人が「〇〇さん(先輩)が、〇〇(私)のこと、めっちゃ褒めてたよ。5年間断酒するなんて並大抵のことじゃないと言ってたよ」というのです。それを聞いたときにはかなりびっくりしてしまったのですね。

そうなのですよ。普通の酒飲みにとって、酒を飲むのをやめるというのはかなりハードルが高いことと認識されていて、だからこそそのような「評価」につながるのです。

数十年間、私に対して肯定的なことを言ったことのない先輩が最大級の賛辞をくれるほどに、断酒は「すごい」ことなんですよ。

確かに断酒して数か月はきついものがありますし、また常に再飲酒のリスクを抱えてはいるけれど、ただ、数年レベルで断酒している人にとっては、そこまで認めてもらえるの、というほどのレベルで世間的な評価は高い。その「ギャップ」もまた断酒の知られざる一面であり、そしてそのギャップが承認要求を満たしてくれるという構図にもなるのではないかと。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする