酒という錘をつけて生きてきたわけだから、それが外れると生き方が軽やかになるのは当たり前ですよね。

酒やめて、1518日。

タスクがさくさくこなせてしまうのですよ!

酒やめて4年とちょっとになるのですが、今しみじみ思うのは(こればっかりで申し訳ないす)、仕事、あるいは生活にまつわる諸々、いわゆるタスクってやつが、本当にサクサクこなせるようになったなあということです。これはマジ実感しています。

仕事については、コロナで少なくなってしまったせいもありますが、まあラクにこなせてしまいますよね。納期前に終わることもしばしばです。で、仕事をするのがそんなに嫌ではありません。

以前も書きましたが、仕事のようなものですらもやっていると若干の脳汁が出てきて、それが長時間集中できる原動力になります。これは酒を飲んでいた時代はありえなかったことです。なぜならば酒という脳汁をめっちゃ出してくれる物質があり、常にそれを求めていたので、たとえ仕事でちょびっとでも脳汁が出ていたとしても、それにまったく気付かなかったからです。

生活にまつわる諸々も同じですね。これやんなきゃなと思ってやっていると、あっという間に終わってしまって時間が余ります。

繰り返しますが、これは本当に飲酒時代にはなかった感覚です。

ドラゴンアンクルを外した高嶺竜児になれるのですよ!

考えてみれば当たり前の話で、大量飲酒習慣があると、酒を飲んでいない時でも頭がなんとなくぼーっとしていますし、何かのタスクに取り組んでいても、これが終わったら飲もうと考えると、そうしたイベントが後で待ち構えているがゆえに、そのタスクがまったく楽しくないのです。まあ私の場合は、ですが(参考「飲んでいないときは土のなかのセミ? そんな状態はもうゴメンです」)。

じゃあ酒をやめれば、いろんなことに対してやる気が横溢してくるかというとなかなかそこまでは行きません。でも上手く言えないのですが、何かやることがある以上それを淡々にして坦坦とやると、やっているうちに転がり出すという感じですかね。

酒飲んでない人はそうやって生きてきたんだなあとも思います。

でも、ですね、ここからが言いたいところなのですが、「我々アル中(大量飲酒者含む)→断酒者」は、これまで酒という錘をつけて生きてきたのですよ。ま、他者のせいにしちゃいかんですが酒に人生を引っ張りまくられてきたわけです。

でも断酒してそうした錘が取れた。悪条件がなくなった。そうすると――またまたジジイ特有の古い喩えを持ち出して申し訳ないのですが、車田正三先生の名作『リングにかけろ』状態になります。つまり主人公高嶺竜児はいつも鉛を入れたドラゴンアンクルとドラゴンリスト(『少年ジャンプ』連載時は「パワーアンクル」「パワーリスト」)を装着して練習あるいは試合をしているのですが、それを外すととんでもないフットワークとパンチ力を手に入れるのですよ。あ、言い忘れましたが、『リングにかけろ』はボクシング漫画です(一部ではSF漫画ともいわれてますが……)。ちなみに当時の『少年ジャンプ』の表3には、このドラゴンアンクルとドラゴンリストに類した商品の通販の広告が載っていましたね。ちょっとそそられました……。

漫画『リングにかけろ』より。高嶺竜児がずっしり重いドラゴン・アンクルを装着。しかしひとたびこれを外せば、龍の飛翔のごとく、彼は天に駆け上るのであった!

まあそんないいものじゃないけど、それと同じです。酒というドラゴンアンクル・ドラゴンリストを外して我々はスーパーな人間になったのです。これは酒を飲んでない人あるいは適正飲酒者にはなしえない、というか、アル中→断酒者だけの特権であり、スーパーパワーなのであると思いたい。いやそう思いこんでおります!

冒頭の話に戻りますが、今は、あらゆるタスクをとくに馬力をかけるでもなく普通にやっていてサクサク終わらせることができます。飲酒時代は違いました。明らかに馬力をかけて俺は頑張ってるぞーという思いと苦痛が常にあったのです。やはり飲酒時代は錘をぶら下げていたのでしょうね。

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