酒やめて、2904日
「バケットリスト」をこなしていくだけだ!
1月も半ばになりましたが、2025年という年を半月生きてみて、とりあえず当初の目論見通りに行っているなあという思いを強くします。なんて、半月くらいで言うのもナンですが。とにかく今年からは岸博幸さんいうところの「バケットリスト」すなわち死ぬまでに「やるべきこと」「やりたいこと」を淡々と粛々と確実にこなしていくつもりであり、それが着実に積み重なっている感があります。半月ながら。
昨年、娘が嫁に行き、母も他界し、父も老人ホームに入っていますので、もう後は死ぬだけみたいな境遇を得ています。だから今後は、ただ「バケットリスト」をこなせばよく、それなりに手応えを感じている次第であります。自分語りすまんが。
でもって思うのは、酒を飲んでいたらこうはいかなかっただろうなあ、ということですね、やっぱり。バケットリストをこなしていくには、気力、エネルギーというものが必要で、酒というやつはこれを徹底的に奪うからです。
飲酒習慣があると、もちろん飲んで二日酔いみたいになった時は気力も何もあったもんじゃないのですが、そうではなくて自分ではまともだと思っている時間でさえ、何かやろうというときに、気力、エネルギーが湧いてこなくなりがちです。
それは、私のバケットリストの一番上にあるサーフィンについても同じで、飲んでいるときは、海行ける状況にもかかわらず「めんどくさい」になっていました。サーフィンするという至上の快楽の手前にある、サーフボードを積んだりとか運転したりとかを行う気力、エネルギーが酒によって奪われていたのですね。
「バケットリスト」遂行の大敵は酒だ!
まあサーフィンは遊びなので実害(?)は少ないけれども、バケットリストのうちでも終活など自分の人生を上手く折りたたむためのことをこなしていくにあたって、飲酒習慣はもう大敵中の大敵であります。
そして、そうしたことに対する気力を奪われると、行き着く先は一つにはゴミ屋敷みたいなことになるのでしょう。実際、私の知り合いでも、本人は自称適正飲酒と言いながらも、ゴミ屋敷かどうかは見たわけじゃないので知りませんが、いわゆる片付けられネーゼになっていると御仁もいますし、むろんそれは年齢のせいもあるでしょうが、飲酒習慣のせいもあると私は確信しています。余計なお世話ですが。
これは結局のところ、酒さんの戦略なのですよ。
酒には、気力を奪う一方で気付けという側面があり、この表裏一体で攻めてきやがります。すなわち人間から気力を奪っておいて、それでも何か頑張らなきゃいけないという時に、「わいが気付けとして必要やろ~」と囁いてくるのです。つまり自分をもっと飲ますために、まず気力を奪います。
それが証拠に(?)酒をやめていると、何かやろうとしたときに気力が湧かない、なんてことがなくなってくるのですね。やはり人間には、自分を自ら奮い立たせる機能みたいなものが生来備わっているのでしょう。これが復活してくるのです。
それは、一般的には気力が減退してくるとされる私のようなジジイでも、です。
そしてジジイになったらなったでバケットリストをこなさなければならなくなる、こなしたいという思いが強くなるので、ことこうした人生の局面において、酒さんに依存してなくてマジよかったと考えている次第でございます。
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