成功体験が少ない人生を送ってきた人間ほど断酒がしやすいのだという謎理論、しかし真実(たぶん)。

酒やめて、1444日。

なぜ成功体験が必要かというと……

よく学校などでは「自分に自信を持つことが大切」というふうに教わりますよね。最近はそういう傾向がとくに強いそうです。

ではなぜことさらにそれが強調されるかというと、学校で学ぶ知識や技能というものはもちろん役に立つのだけれども、世の中の変化がこれだけ激しいと、今学んだことが先々永続的に自分の人生を支えてくれるのかといえば、それは不透明だからです。だからこそ、人間としてのもっと根幹の部分、社会がどのように変化しようが自分を支えてくれるものを育てることが大切だというふうに、たとえば教育現場などでは認識されてきているようです。

ではこの自信というものはどのように生まれるかというと、そのもとになるのは成功体験ですよね。もちろん世の中には根拠のない自信を持っている人がいて困ったものですけれども、根拠なき自信はいざというときはあまり役に立ちません。役に立つ自信とは、何か困難を克服したり何か問題を解決したという成功体験に裏打ちされた自分に対する信頼です。だから「自信」なのでしょう。

で、このブログでも度々書いてきましたけれども、私自身のことを言えば、成功体験の少ない人生を送ってきたと思います。今日、大学入学共通テストが行われていますが、私はその大学受験にしても、さらに中学受験にしても上手くいかず、大学受験にいたっては、現役のときに合格した大学にも浪人したら受からなかったという体たらくでした。浪人時代に問題集の横に瓶ビールを置いて勉強していた弊害だと思われます。酒が人生の足を引っ張るということを早くも経験したわけです(自分が悪いんですけどね)。

まあ受験に際してはそれなりに努力したと思うのですが、それに対して期待しただけの見返りがなく、ですから成功体験となりえなかった……と思います。

余談ながら高校受験に際しては、その時行われていた学校群制度に救われたといったところでしょうか。学校群制度は悪名高いですが、それは日本の公教育全体、あるいは秀才から見た場合であり、凡才からすれば救いの神ですよ。だからこそ成功体験にもならないのですが。そう考えると、世の中の各種「やさしい制度」は成功体験をかたちづくるという意味では逆効果なのかもしれませんね。て、まったくもって余計なお世話ですけど。

酒という逃げ道がなくなればチャレンジするしかなくなる!?

さて成功体験です。ともあれ私の場合、人生における成功体験が非常に少なかったんですよ。だから自分に自信がなく、何かにチャレンジしてみようという場合、そうしなければならない場合でも、なかなかその勇気がなかったのですね。そして「酒」という逃げ道があったので、「チャレンジするよりは酒」という人生を送ってきました(苦笑)。

でも断酒してからは、何かやろうとしたときに「とりあえず酒でも飲もう」という選択肢がなくなったわけです。ということは、ある程度強制的にやらなければいけない。そうすると、まあ本当に些細なことで情けないのですが、PCのメモリ増設だとか、シャワートイレを交換するとかその手のことでも、悪戦苦闘のすえに上手くいったりします(昔、教師からよく言われていた「な~んでみんなができることがあなたにはできないの」という言葉を思い出しながら)。そしてこれは非常に小さな成功体験なのですが、自分の人生の中では相対的に大きなものだったりします。

この「相対的」というのがポイントだと思います。成功体験が少ない人間の場合、仕方なくやって生まれた小さな成功体験でも大きなものに感じることができます。

そこへもってきて「断酒」ですよ。断酒が続けば、それまでの成功体験が少なければ少ないほど、それは「相対的に」大きなものになります。かつ、前述のメモリ増設のような小さな成功体験でも、それは断酒したからこそ、というふうに脳が記憶します。

そうしたことが重なっていくと、断酒した自分=成功体験になります。でもって繰り返しますが、それまで人生での成功体験が少ない人間ほど「断酒した自分=成功体験」が、人生のなかで相対的に大きく貴重なものになるのです。だからこそ、そうした人間ほど断酒を続けやすくなるという謎理論がここに完成するわけですね。そしてもちろんそうした成功体験に基づく自信も増殖していくのですよ。

だから成功体験が少なく、なおかつ人生上手くいってない私のような人間ほど、「いいから断酒やってみ」にもなるのですね。

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