「適度な飲酒」さえ許されない時代に突入しつつあることを、ここであらためて確認しておきたいと思います。

酒やめて、1616日。

誰もが死ぬまで社会と接点をもたなければならない時代だから

「適度な飲酒」ということが世の中でまあ一般的には肯定されているけれども、「毎日飲む人」と「機会飲酒者」とで区別して考えなければいけない、「適度な飲酒」が適用されるのは機会飲酒者だけだ、ということを一昨日書かせていただきました(参考「「適度な飲酒」←こいつのラスボス感が半端ないという話」)。

もう一つ、「適度な飲酒」に関して重要な点があると思います。「適度な飲酒」であれば身体的には問題ないとされていますが、それは内臓はじめ首から下の身体が対象であって、最新の研究では、酒を一滴でも飲めばその分、脳が劣化することがわかっています。酒は蓄積毒なのですね。なので、肝臓は健康でも脳がダメになるケースを、飲酒習慣がある以上常に考慮に入れておかなければならない。そして肝臓が丈夫である人ほど、酒による脳損傷リスクが高まるのも留意したいところではあります。で、ここに時代ということが絡んできます。

昔は、脳が劣化してもよかったんですよ。毎晩、晩酌や飲み会で酒を習慣的に飲み続けて、脳がそろそろやばくなったなあ……てな頃には社会的に引退でき、そして年金なども機能していましたから、基本的には老後は安泰でした。アル中になる自由があったわけですねー(参考「僕らにはもう「アル中になる自由」がない」)。うらやましい。

ところが今はいつも書いてるように、年金不全、「老後用に2000万貯めておけよ」、定年延長、副業解禁などなど、すべての施策あるいは状況が、死ぬまで社会となんらかの接触を持つことを要求しています。おちおちアル中にもなっていられないわけです。多くの人にとっての、脳を劣化させるわけにいかない時代の到来、と言っていいのです。

ここのところを考えないといけないと思います。ちょっとでも飲めば劣化することがわかっているのだから、ちょっとでも飲まないほうがいいという結論になりますよね。

飲酒習慣があるだけで、脳が劣化していると判断されてしまう!?

またこれも以前書きましたが、たとえ自分が大丈夫と思っていて、実際に大丈夫だとしても、飲酒習慣がある、毎晩飲んでいるといった印象を周囲に与えると、大丈夫じゃなくなってしまう。ちょっとした仕事のミスでも、酒のせいにされてしまい、ジジイの場合、さらに加齢+酒のせいになります。その結果、私のように定収入皆無のフリーランスの場合、仕事が、それこそ妖精さんのように離れていくのですね。とくに若いディレクターなどは酒を飲まないケースが多いので、より厳しい目で見られます。怖いですよ。

とにかく時代が激変しています。そしてその激流の中では誰もその流れに逆らえないということです。酒もそうです。いよいよ酒の歴史的使命も終わっていくのかなあと思います。断酒者的に都合よく考えれば、というフレーズをこのブログではよく使っていますけれども、これは都合よく考えなくてもそうです。必然ですね。

繰り返しますが、酒が脳を劣化させることが医学的にも証明され、脳を劣化させるわけにいかん世の中になっている以上、そうなって行きます。

そしてここからは断酒者的に考えれば、なのですが、既に酒をやめた人あるいはやめようとしている人は、こうした世の中で確実にアドバンテージを取っていけますよね。このアドバンテージを取っているという屈折した優越感が断酒モチベーションになったりする、ということはいつも書かせていただいてる通りです。

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