しつこいようですが、「断酒」と「時代」は切り離して考えられないことを確認しておきます。

酒やめて、1618日。

なぜタバコをやめられたかといえば……

一昨日もちらと書かせていただきましたが、やっぱり時代ということと酒をやめるということは切り離しては考えられないです。このことは禁煙(なぜか断煙とは言わない)のことを考えると分かりやすいと思います。

私事で恐縮ですが(個人ブログなので当たり前といえば当たり前ですけど)、私がタバコをやめたのは90年代の半ばでした。それまではかなりのヘビースモーカーでした。

きっかけはやはり子どもが生まれたことです。ヤニ臭い手で赤ちゃんを抱っこしたくなかったというのが一番大きな理由でした。会社の同期はじめ周りの連中も年齢が同じくらいならライフステージも似てきますので、子どもが生まれたからタバコやめるという人間が相次いでいました。みんな今もそのままタバコと離れられています。

そのような理由でタバコをやめられたのですが、世論の後押しもありました。ちょうどタバコ広告規制もなされ始め、最後の砦であったF1すらもタバコ広告が淘汰されようとしていた時代です(参考「タバコはダサくなった。ユニクロはイケてるようになった。酒は……、どうですか?」)

一大嫌煙ムーヴメントが世界的に持ち上がっていたわけです。その背景には、タバコは自分だけじゃなく副流煙によって周りの人の命も縮めることが常識化してきたことがあります。だからみんなタバコがやめやすかった。やっぱり世間の雰囲気と嗜好品をやめるということには、かなりの関連性があります。今さらですが。

さて、酒のことを考えてみます。私が酒をやめたのは2017年です。ではその10年前の2007年に酒をやめられたかというと、これはおそらく無理だったと思います。

これもタバコと比較すると分かりやすいです。私がタバコをやめた時点の10年前、80年代にやめられたかというと絶対無理です。というのは、その時点では「嫌煙」がそこまで世間に醸されてなかったからです。

酒も同様ですよね。ですからいつも書いているようにもっと若いうちにやめられたら良かったと思いますけれども、現実問題としては無理だったでしょう。

今、断酒しようと考えている人はめちゃラッキーですよ

私の場合、別に自慢することではないのですが、断酒に際して医者に相談したわけでもないし、薬も使わなかったですし、断酒会の類にも行きませんでした。断酒友の存在はあったけれども、その断酒友も含み大きな力となったのは「周囲」「社会」です。これには当然ネットも含まれる……というよりも、断酒友を除けば「周囲」「社会」イコールネットということになります。ネットとは断酒ブログの類です。

逆に言えば、そのようにネット上に断酒を後押しし、それを続けさせる“力”があるということは、世間がそういうふうになっているという紛れもない証拠です。そしてその流れをどんどん大きく太くしたいというのが、私はじめ断酒ブログなどをやっている人の思いではないでしょうか。そうすれば自分がさらにラクになりますからね。少なくとも私はそうです(あざとい汗)。

ともあれ、すでに世間には「酒やめようよ」という大きな力が醸成されているのですよ。そうした歴史の流れというのはもう誰にも止められません。タバコの時に、あるいはパチンコもそうですけれども、私たちはそれを経験しています。

そして断酒ブログの分際でもっと大きなことをいえば、時代は明治維新以来の変革期にあり、パラダイム転換がいろんなところで起こり始めしている。たとえばオールドメディアが死にかかってるのもその一局面で、コロナ禍を背景に頻発している捏造報道や偏向報道は最後のあがきのような気もします。このように大きな時代の変わり目にあって、酒も(これは都合よく考えれば、ですけど)「オワコン」化しつつあるわけです。

ですから今、酒をやめようと考えていて、そして年齢も比較的若いなんていう人は、めちゃラッキーですよ。ちょうど我々世代が子どもが生まれる頃に、嫌煙ムーヴメントがやってきたのと同じように。

いや、もっともっとラッキーですね。いつも書いていますが、酒は徹底的に時間を奪います。ということは、早めに酒をやめれば、手にする時間がめっちゃ大きくなるわけですもん。ここがタバコと酒の違いでしょう。

何度も恐縮ですが、今、酒をやめられる人、酒をやめるという社会的風潮および必然に後押ししてもらえる人は、我々嫌煙ムーヴメント世代よりもさらにラッキーです。マジうらやましいです。

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