「大きな人生」と時代と社会の親和性が低くなっている。このようななか酒はどうですか、という話。

酒やめて、2474日

日本が選ぶのは、国家として第三の道?

「大きな政府」「小さな政府」という考え方というか実態があります。前者は、国民からいっぱい税金を取って福祉などでいっぱい還元しようというタイプ、後者は、福祉などはある程度国民に任せ、国防など国でなくてはできないことに専念しようというタイプですね。アメリカでいえば、民主党政権は前者、共和党政権は後者とされています。

日本では、福祉などは国民ではなく企業に任せる「小さな政府」スタイルで高度経済成長を促してきたのでしょうが、高齢化とともに「大きな政府」に移行して現役世代の税・社会保障費負担を限界まで拡大し、それが社会的な活力を奪ってニッチもサッチもいかなくなっています。

まあそれ以前の問題として、メディアや野党は「福祉のお金が足りないんだったら国防を削ればいいじゃない♪」と主張しますが、これは、国というものが何のために存在しているのか、その根本を無視していますよね。むろんわかって言っているんでしょうけど。

国として最低限やらねばならない「国防=護民」を放棄し、個人に任せることも可能な福祉を拡大しようとする――「大きな政府」「小さな政府」でもない、これまで人類の国家が実践したことのない、国家としての第三の道を目指し、それを先導しているわけですよ。行き着くところがユートピアなのかディストピアなのか知りませんが。

とまあ、そんな大それたことこんなブログで云々しても詮ないのですが、この「大きな政府」「小さな政府」の論法でいくと、個人にも「大きな人生」「小さな人生」があると思います。

「小さな人生」は変化に強い!?

たとえば、家を買う子どもをつくる子どもを良い学校に行かせる、なんてことのために、一生懸命働いていっぱい稼ぐ、あるいは夫婦で働くみたいなことで税金もたくさん払い、また保育所などにもお金をかける、というのが「大きな人生」でしょう。

多くの人々がそういうことを指向すると、経済規模が大きくなるというメリットはあると思います。高度経済成長時代からバブルにかけてはそうで、そうした局面においてはメディアなどによる「消費煽り」も有効でした。

一方、「小さな人生」というのもまたあって、今の若い人はこれを指向していますよね。家を持たないクルマを持たない子どもをつくらないということで、現在の社会状況からすれば非常に妥当な人生戦略のように思います。

ましてや今は激変の時代です。そういう時は、このブログでも触れたことがありますけれども、恐竜の前で小さくなっていた初期の哺乳類のように、できるだけ身軽にしておいて、変化に対応できるというふうにしなければと思います(参考「AIという恐竜の前では、身体を小さくして生き延びた初期の哺乳類がお手本になる!?」)。なので、ローンで家を買うなどというのはもってのほかでしょうし、その「小さな人生」ということにおいて、もちろん酒も無駄な部分であるという結論になりますよね。

私なんか「大きな人生」(の実践)をメディアなどに煽られ(人のせいにしちゃいかんが)、そして上手くいかず(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)、酒やめて「小さな人生」になって初めて人生が上手く回りだした人間ですので、このような思いはいっそう強いものがあります。

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