「失敗する前に考える」「他者に学ぶ」姿勢の必要性がかつてないほど高まってる時代。でも酒飲んでるとそれができないんですよねー(苦笑)。

酒やめて、1390日。

それができりゃ苦労しねーよ、じゃ済まない!?

「病気した後出る知恵、今出せ」といった格言(?)があります。海に行く途中の田舎道の脇に、そのように記した一本柱状の看板が立っていて印象付けられるのですが、今、ネットで調べてみてもヒットしないので、普遍的なものではなく、自治体だかどこかの団体のオリジナルなのかもしれません。

しかし意味・意図はとてもよくわかります。わかるけれども、感想はといえば、それができれば苦労せんわー! であり、これは多くの方に共通するものではないでしょうか。

「病気した後~」はオリジナルでマイナーなものなのかもしれませんが、類する格言は昔からあって、有名なのは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ですよね。これについては以前にも書かせていただいてますが(参考「「愚者は経験に学ぶ」というけれども、経験だけからのみ学びを得ていたら、人生それで終わってしまうのだという元アル中としての「経験」」)、要は、愚か者は自分の経験の範囲内からしか学ばないけれども、そうではなくて「歴史」、つまり多くの人々の失敗や成功を自分のものにすることができるのが賢い生き方だ、と理解しております。今ふうに言うと、オープンイノベーションな生き方ということになるのでしょうか。

私の飲酒時代は、自分の経験すらからも学ばないという、愚か者業界(?)の中でも底辺中の底辺でしたので、そのような者がなにをかいわんや、なのですが、ただ、だからこそ今、そこで生じた悔恨を今後に生かしたいという思いは強いのです。せめて、通常の愚か者並みに自分の経験だけからは学びたい。さらにそこから一歩踏み出して、「歴史(≒多くの人々の知見)」に学びたい、あるいは冒頭に記したように「病気の前に知恵を出す」といった生き方をしたいなあと切望しています。

飲酒時代の悔恨が大きすぎるから声を大きくしたいのだ!

そうした私が言うのも我ながら片腹痛いのですが、今後の社会、ということを考えても、このような姿勢はますます必要になるのではないかと思いますよ。

ITの深度化で、普通に仕事をこなすだけでも学ばなければならないことが多すぎる、という社会構造がまずあると思います。また年金の機能不全で、老後に向けて資産形成もしなければならない。つまり、やることがめちゃ多くなっている。普通に仕事して、そしてそのほかの時間は酒を飲んでいたのでは、「普通に仕事」を続けることさえ難しい世の中であり、まったくもっておそろしいことです。

そして私の場合は、「普通に仕事」が破綻しそうだったから酒をやめたという側面が確かにあり、飲酒時代の仕事上の後遺症も残っています(苦笑)。

そんなふうに考えていくと、失敗してその失敗に学び、そしてまた失敗して……、という生き方はもうできなくなっているのだと思います。そういう生き方を時代と社会が許してくれなくなっていると言っていいかもしれません。

だからこそ、病気する前に知恵を出す必要があり、他者の知見を積極的に取り入れ、それを自分の人生に生かす必要があるのではないのかと。

飲酒習慣というものは、そのための一番邪魔になる、と、愚者業界のそのまた底辺にいた人間が、文字通り愚考する次第なのでありますよ。

それはもちろん、酒を飲んでいると勉強する時間がなくなるということもあります。また飲酒脳だと自分の飲酒を正当化したいがために飲酒以外のことでも頑なになり、他者の知見を受け入れることができなくなることも大きいと思いますねー。

繰り返しますが、私の場合、経験にすら学ばなかった悔恨が大きすぎるから、このようなことを、僭越ながら声を大にして主張したいのであります(苦笑)。

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