【朗報】酒とテレビは手に手を取って去っていく。

酒やめて、2104日。

「ありえない」は若者に限った話ではないのです

一昨日、「「長い夜」の、なんと幸せであることよ」という話を書かせていただきました。そこに登場させた従兄弟が言った言葉がわりに印象的でして、それは「テレビと酒は時間を奪う二大要素だと何かの本に書いてあった」というものです。

その従兄弟は飲酒者なので、つまりそうした事実は断酒者業界(?)だけでなく一般にも浸透していると言っていいのではないでしょうか。これはなかなか意義深いことなのかなあと思ったりもします。

伊丹十三先生も過去に、このようにおっしゃっています(以前も引用しましたが)。

たとえば君がなにかの理想を抱くほどの男子であるなら、一日のうちテレヴィジョンを見る時間が、書を読む時間より長いということはありえないことだと思う。まず平衡感覚でいうなら、読書とテレヴィジョンに当てる時間は五対一くらいでよろしかろう。

『女たちよ』

この時代(『女たちよ』の初版は1968年)では若者を想定していますが、現在は中高年といえども一生勉強を続けないとサバイバルできない社会構造になっているので、これは若者だけに当てはまる話ではないです。

つまりテレビを視ながらのんべんだらりと酒を飲むのは、時間が奪われることを通じて先々の人生をどんどん毀損するということにあいなりますよね。

テレビというのはもう一つの意味で凶器になることもよく知られていて、それはある意図のもとに番組が制作されているので洗脳されてしまうということです。その意図とは、「日本が悪い」「日本人が悪い」ではないでしょうか。NHKとTBSがとくに顕著ですけれども。

ただ昨今では、それも少しばかり行きすぎてネット上で反感を持たれ、逆効果のような気もしますけれども、ともあれ意図的にコンテンツをつくっていて、視る人を一定の思想に導こうとしていることは間違いないでしょう。今は、自分軸の確立が生きていく上で非常に重要になっているので、その意味でもやばいということもよく言われるところではあります。

酒やめるとテレビという人生破壊装置からも離れられるのです

で、もう一つやばいのは、テレビはたとえば「酒を飲む楽しい生活(の提示)」のような洗脳も行っていて、これは当然スポンサーとの絡みもあるのでしょう。民放の場合、マネタイズ構造として「消費を促す」という大前提がありますので、幸せな消費生活を散々提示してきやがります。そしてそれを実現しようとすると、現実とのギャップに身もだえる羽目になり、酒でも飲まなきゃやってられないという状態に陥りがちです。まさに昔の私がそうでした。

でも、ですね、酒をやめると、そのような人生破壊装置であるテレビから離れられます。なぜならばテレビというものは皮肉にも、コンテンツとして非常に低レベルなので、酒を飲まないと単純に面白くないのです。もしかしたら、酒飲んでいる頭への訴求が前提になっているのかもしれません。

酒とテレビは手に手をとって人生を破壊するけれども、一度酒をやめると、酒とテレビは手に手を取って去っていくということであります。これも一つの断酒の効用なのではと思ったりもするのです。

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