僕らにはもう「アル中になる自由」がない。

酒やめて、1006日。

世の中には「朝から飲める店」「昼から飲める店」というものがあります。酒屋さんがその店先で飲ませるというパターンもありですね。九州では「角打ち」といいます。いいですよねー。風情があります。こう書いていても、ちょっと出かけたくなるほどです。

朝飲み、昼飲みは、社会システムに組み込まれていた!?

いかんいかん、断酒を続けるためのブログが、酒を誘発するブログになってしまってる……。ということで話を戻せば、「朝から飲める店」「昼から飲める店」がなぜ発達したかといえば、私のようなアル中のためではなく、夜勤従事者のためです。夜勤開けに一杯飲みたいという需要に応えようというわけですね。

したがって、そうした類の店は、いわゆる現業職が多い組織のお膝元の町で発達してきました。東京だったら、鉄道管理局があった赤羽や大井町、製紙工場のあった王子がその代表だと思います。

国鉄に現業職で勤めて、夜勤のある場合は、朝、勤務を終わって飲む。ときには出勤前に一杯引っ掛けて、ということもあったようです(その手の飲み屋のおばちゃんの証言による)。

朝・昼飲みは、社会システムに身を任せ、勤務システムに身を任せ、その上で酒に身を任せていたわけです。昔はそれでよかったんですね。あ~そういう時代、境遇に生まれたかった、とは思うところであります。

もう「楽隠居」ができない時代だから!

さて、これは人生についても同じです。昔は55歳定年で同時に年金支給でしたから、35年ほどちゃんと勤め上げれば、リタイア後、朝から毎日酒を飲もうが安泰だったわけですよ。当然、人生プランとして、それまでに家を購入し、子どもを育て上げていました。つまり、アル中になる自由があった。という言い方が悪ければ、楽隠居ができていた。ところが今は、社会システムとしてそうじゃない。それにみんなが気づきはじめている。

今は勤め人でも、いつどうなるかわからないし、老後の完全なる保障があるわけでもない。要はマルチスキル化していかなければならない。マルチスキルとは、たとえば投資だったり副業だったりします。

で、そういうことをする時間、そういうことをするために勉強する時間は、普通の社会人だと夜、つまり酒飲んでいる時間とバッティングするし、また酒飲んだ頭でやろうとしてもなかなか難しいわけです。当然ながら。

ということに、私は気づいてしまったんですねー。気づきたくなかった。飲んだくれていてもこの先、大丈夫な人生を送りたかった。アル中になる自由を得たかった。でもそうじゃないんだ、残念ながら。

私の周りにもいます。お前、酒飲んでる場合じゃないだろうって人。でも、気づいてないのか、気づかないふりをしているのか、あるいは気づくことが怖くて飲んでいるのか。

ともあれ「断酒」は、これまでは身体的な事情で行わなきゃならないものだったけど、今は、自分の人生プラン、今の社会システムとつき合わせて行うものになってしまった、と言えるんでしょうねー。気づきたくなかったけれど。

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