「適度な飲酒」←こいつのラスボス感が半端ないという話。

酒やめて、1614日。

脳汁噴出物質または行為にもランキングがある!?

脳に快楽をもたらすもの、すなわち脳汁噴出物質あるいは行為のうち、タバコ、パチンコなどは、今の世の中では、言ってみれば「絶対悪」として認識されています。「ヤニカス」「パチンカス」という言葉もあるくらいですしね。では大麻はというと、高樹沙耶さんなどはそうじゃないと主張していて、実際カナダなどは認めていますけれども、日本においてはやはり絶対悪でしょう。違法ですから。

じゃあスポーツはといえば、これは一般的には推奨されていますが、若返りの南雲吉則先生などは、人間の一生の鼓動回数は決まっていてスポーツをすると当然脈が速くなるので、それを「消費」してしまい寿命を短くすると言っています。ですからスポーツ無用論者ですね。先生はその代わりにウォーキングを推奨しています。

それにしても「人間の一生の鼓動回数は決まっている」説が真実ならば、聖闘士星矢に出てくる天秤座の黄金聖闘士・童虎の心臓が1日に365回しか鼓動せず、それゆえに291年生きているというのは、あながち漫画だけのお話じゃないのかなあと思いました(いや、お話ですけど)。

天秤座の黄金聖闘士・童虎。弟子の青銅聖闘士・紫龍ともども、聖衣を脱ぎ捨てて裸になるのが大好き。

その一方でスポーツをすると心臓が強化され(スポーツ心臓になり)、普段の脈拍が少なくなるということも聞いたことがあり、それだと差し引きチャラやん、とも思います。

スポーツ心臓といえば、有名なのはこの人、ビヨン・ボルグですねー。普段の心拍数は35回程度だったとか。だから長時間のラリーにも耐えられ、王者として長年君臨できたいう説も。息子さんがプロデビューしましたね。

断酒ブログなのであまり深く追求はしませんが、要はスポーツは功罪半ばする、といった感じですかね。

「適度な飲酒」は個別事案なのに常識化しているのが怖いのだ!

それでは酒は、と考えると、今現在、残念ながら「カス」までは行っていませんよね。お父さんお酒はいいけどタバコはやめてね、みたいなことも、よく世の中のお母さんが口にするところでしょう。もう仕方がないというふうに認識されているのかもしれません。「少しなら」いいというわけです。

この「少し」がどの程度かというと、最新の研究では「日に純アルコール量100グラム――中瓶またはロング缶1本に相当」とされています(参考「上原浩治の「ビール二本で我慢」をどう捉えるか」)。

で、この量でがまんするのは、アル中に限らず普通の「毎日飲む人」にも無理ですよ。この量を毎日飲んでいたらやがて量が増えます。

では、この量を飲む人というのはどういう人かというと機会飲酒者ですよね。飲み会では飲むけど家では飲まない。家でも、冷蔵庫にビールが一缶あれば飲むときもある……みたいな人です。ここは分けて考えなければならないと思います。

ところが、この二つのこと、つまり酒量が増えていく可能性必然性をはらんだ「毎日飲む人」と「機会飲酒者」が混同されて「適度な飲酒」が語られているのですよ。

「適度な飲酒」という心地よい響きもあって、あるいはお医者さんも自分も飲んだりするから「ほどほどなら」とつい言ったりしますけれども、これが「毎日飲む人」「機会飲酒者」関係なく、世の中の“通念”になってしまっている。怖いと思います。本来であれば個別事案なのに。

そして「適度な飲酒」が心のよりどころになると、「毎日飲む人」はおうおうにして拡大解釈して、そこへもってきて自己正当化というバイアスもかかりますので(参照「飲酒習慣が重なると「自分だけは」という自己正当化が促進され、それは加齢によって倍加するという怖ろしい話」)、だんだんと酒量が増え、やがてアル中や依存症へと向かいます。また断酒していても、あるいは「適度な飲酒」を理由に再飲酒してしまうというパターンもあります。

したがってこの「適度な飲酒」は、この言葉の穏当さとは裏腹にラスボス感がすごいです。また「適度な飲酒」があるがゆえに、その言葉を医者も口にするがゆえに、酒はタバコやパチンコまでは「カス」化せず命脈を保っている。もしかしたらタバコ、パチンコ以上の「毒」である可能性も高い、つまり「カス」度ナンバーワンかもしれないのに、ということですよね。ここのところを意識したいと、あらためて心に任ずる次第であります。

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