酒やめて、1200日。
今日で酒やめて1200日になります。ブログ本数では201本目ですね。このブログを始めたとき、100本程度ならネタがあるのでとりあえず100本書いてみようと思いました。が、200本も書けたことに驚いています。
断酒してから、二つの死と向き合った
200本といっても同じようなことを書き連ねているわけですけれども、ブログとはそういうものだと割り切っています。「大切なことなので何度も言います」で良いのではないかと。そもそもの目的が断酒を続けるためなので、そういうスタンスでも大丈夫だと勝手に判断しています(笑)。
しかし、そんな同工異曲のブログの中でもずっと書かないできたテーマがあります。それは、自分の中で書く気が起きないというか、このことに向き合うのが辛かったからです。ただ、いつかはと考えていましたので、この1200日を機に書いてみたいと思います。
私は酒をやめて3年と3ヶ月になりますが、その間に人生の中でも本当に辛いことが二つありました。愛犬の死と実母の死です。
なんて並列のように記すと、「私と犬を一緒にすんなやー」と天国の母が文句を言いそうではありますが(笑)。一応、順番も時系列順ということで。
犬は酒をやめた段階で老犬でしたし、母も癌の末期だったので、この二つのことは予期できていました。
そして実際にそうなった時、私は酒を飲まないでいられるだろうかというふうに思っていました。でも結果的には飲みませんでした。
「別離」を乗り越えるために断酒は必然だと思う
というのは、私の中に一つの思いがあったからです。
もしここで辛いからといって飲んでしまうと、その犬の死や母の死を、再飲酒する、あるいはスリップするといってもいいと思うのですが、その「号令」におとしめてしまうのではないか、ということです。そうなったら自分で自分が許せないです。当然ながら。
辛いから飲むのではなく、辛いことを飲む理由にしてしまうということですね。それは大きな冒涜です。
それがわかっていたので、この二つの出来事は予見されていたことだけに、そのときに飲むのは絶対やめようと考えてました。
もうひとつ理由があります。
もし飲んでいたら、たぶん立ち直れなくなっていたと予想できた、ということです。酒を飲んで忘れるなどできるわけがなく、飲めば飲むほど辛くなるというパターンに陥っていたであろうことが自分でも容易に想像できます。
逆に言えば、こうしたことがあっても今ある程度平穏な気持ちでいられるのは、飲まなかったからです。飲まないからこそ乗り越えられたと確信しています。
思えばこれから老境に差し掛かるような私の世代にとって、「別離」は次から次へと訪れてくるでしょう。お釈迦様がなんとか逃れようとした四苦八苦の一つですね。人間にとっての、大いなる苦しみの一つです。
そして、それに遭遇する度に飲んでいたら、悲しみはどんどん増幅し、酒の魔境に取り込まれ、あるいは生きる屍になるかもしれません。
人生は、後半のほうが辛いことが多いのですよ、きっと。そしてそのときはもう身体も、たとえば脳内物質にしても肝機能にしても、酒飲めばさらに辛くなるようなってしまっているのです。
ですから、誰もが遭遇するであろう人生後半の別離を乗り越えるために、私の場合は酒をやめる選択は必然だったということになります。