酒やめた理由一覧

「俺はアル中じゃない」の人が自己防衛のためにする「お前はアル中だ」攻撃がつくり出す輪廻の怖ろしさ。

酒やめて1922日。アル中やアル依は「否認」の病気と言われます。いわく、「俺は自分の酒量はわかってる」とか「あいつはアル中だけど俺はそこまでいってない」とか「俺は飲んでも自分を見失わない」とか、そういうふうなエクスキューズを口にするようになるというのですね。

山田勝彦議員謝罪会見の「私人として」がなんともやるせなく感じる理由。

酒やめて1780日。二個前のエントリーで「酔った勢いの「社会悪」って、今、どこまで許されるんでしょうかね?」という話を書かせていただきましたが、書いていて元アル中→断酒者の心の琴線に触れる(?)文言がありましたので、その点についてちょっと考察してみたいと思います。

デジタルアルゴリズムとのお付き合いと飲酒は徹底的に相性が悪いことを、あらためて確認しておきたいと思います(笑)。

酒やめて1386日。一昨日書いたこと――「日本は世界のなかで、酒に関してもガラパゴス化している件」に関連して、それをもうちょっと深掘りしたいと思っていますが、これから書くことは妄想の類なのかもしれません。て、それは毎度のこと、あるいは断酒者ご都合理論やんけ、と言われればそれまでなのですが(苦笑)、お付き合いいただければ幸いです。

飲んだくれの人生だと、死んだ後に「酒」でしか記憶されない!?

酒やめて1336日。大昔、ホイチョイプロダクションズが、雑誌に『南青山クラスライフ』といううんちく漫画を掲載していて(単行本にはなっていないようです)、そのコンテンツの一つに「お嬢様の一生」というものがありました。愛育病院か山王病院で生まれて双樹会とか伸芽会に通い……というやつですね。

あらためて思う。肝臓とはなんと健気な臓器なことよ。

酒やめて1255日。飲酒時代、ときどき右の脇腹、つまり肝臓のあたりが痛いときがありました。でもこれはおかしな話で、肝臓は沈黙の臓器と言われています。痛みを感じる神経がないので、どんなに悪くなっても痛さを訴えないそうです。ただ、現実には肝臓あたりが痛い。そこで思うわけですよ。沈黙の臓器が沈黙してないんだからマジでやばいんやな、と。

アルコール依存症だけ不当に「差別」されるんなら、もう酒やめて見返すしかないでしょ! 

酒やめて1250日。人気ブロガーのよもぎねこさんが、ちょっと前ですが「差別って何? 駄菓子屋とラーメン屋と東京マラソンと中国人渡航拒否」という記事を書いていました。コロナ感染リスクがあるので「中国人来ないでください」と張り紙した駄菓子屋屋さんやラーメン屋さんについてです。これを、朝日新聞は散々攻撃していました。

なぜタバコのことはすぐ忘れられたのに、酒には未練タラタラになってしまうのか。

酒やめて1227日。個人的なことで言えば、私は二十数年前に禁煙しました――そういえば煙草の場合、永遠にやめる場合でも「禁煙」といいますよね。酒は一時的にやめるのが「禁酒」、一生飲まないと決めるのが「断酒」と一応はなっているようなのに。

反面教師の存在が、断酒と断酒継続にかなりのインパクトを持つという話。

酒やめて1210日。私が酒をやめることができた、そして断酒を続けられてる理由の一つに「反面教師」の存在があります。私にとっての反面教師とは、人からお金を借りて飲む人です。あるいは飲み会などでお金を払わない人です。要は「たかり酒」というやつです。

適正飲酒者・機会飲酒者にはなれない大いなる自信があるから、一周回ってスリップしない自信もまたあるという話。

酒やめて1204日。酒やめて一定期間、そうですね、半年とか1年経つと、もしかしたら俺は晩酌でビール1本飲む程度の、いわゆる適正飲酒者になれるのではないか、あるいは、飲み会など必要なときだけ飲む機会飲酒者になれるのではないかという気持ちが、むくむくともたげてくるとはよく言われます。