「酒とオールドメディア」を切り口にすると、クリティカルシンキングができるよねという話。

酒やめて、2318日

「批判家精神」@団塊の世代ではないのだ!

クリティカルシンキングという言葉というか実態があります。教育現場などでも重要視されているようです。自分軸の確立にはこれが必要だということですよね。

このクリティカルシンキング、批判家精神などとも訳され、それなら団塊世代の属性のようで(偏見)なにを今さら感があるのですが、ただしそういうこととはちょっと違っていて、まあ要はオールドメディアなどが垂れ流す、あるいは意図的に提示する情報を鵜呑みにしないことだと勝手に解釈しております。

いわゆるZ世代はネット世代なので、ある程度、こういう属性になっているのかもしれません。

団塊世代がDon’t Trust over 30sなら、Z世代はDon’t Trust Old Mediaなのでしょう。

それに対して私などは、メディアから流れる情報というか光景をまったく無批判に受けとめていた世代ですよ。ドリフで育ち、たけしを信奉し、とんねるずに共感しまくった世代ですからねー。またいつも書いていて恐縮ですが、トレンディドラマ(死語?)の世界に強く憧れ、テレビメディアの消費拡大戦略に乗せられて、そこに酒が加わったものですからまんまと人生追い詰められてしまいました(参考「酒による「ねばならない脳」に同調圧力が加わると、かなり強力な人生破壊兵器になるという件」)。人のせいにしちゃいかんが。

酒とメディアの癒着を感じます

そのメディアによってもたらされる「乗せられ」といえば、たとえば今なら、石田ゆり子さんや五十嵐カノアさんが美味しそうにビール飲んでるんだから酒飲もう、酒飲んでもよかろうもん! みたいな感じです。

このあたり敵(?)は昔から非常に巧妙なのですが、一方で馬脚を顕わしている感もあります。

たとえばカイジを使ったキャンペーンもそうだし(参考「酒造会社が「アルカス」をキャンペーンに用いたことは、存外に深い意味を持っているのではないかという仮説」)、山川穂高選手がオリオンビールの広告に出ていることも象徴的ではありました。またこれらは広告の話ですが、以前書いた(参考「酒さんとオールドメディアの親和性の高さは異常である件」)ように、テレビメディアでの、不自然なほどの酒擁護も逆に追い詰められている感があります。

余談ながら中田敦彦さんが自らのYouTube番組で禁酒したと公表すると、芸人仲間から酒のコマーシャル来なくなるぞ、と言われたそうですが、こうしたエピソードも酒とメディアの癒着(?)を物語っているようです。

で、それが今や不自然かつあからさまなので、断酒erだけでなく、普通に酒飲んでいる人、あるいはもともと飲まない人でも違和感を感じるところではないでしょうか。

とまあメディアの不自然なところはたくさんあるけど(中国に関する報じ方とか)、「酒とメディア」に着目することで、今、必要とされるクリティカルシンキングなるものが自然に身に付くのではないかと身勝手に考える次第であります。

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