なぜタバコのことはすぐ忘れられたのに、酒には未練タラタラになってしまうのか。

酒やめて、1227日。

タバコやめるとタバコが「大嫌い」になるのに……

個人的なことを言えば、私は二十数年前に禁煙しました――そういえば煙草の場合、永遠にやめる場合でも「禁煙」といいますよね。酒は一時的にやめるのが「禁酒」、一生飲まないと決めるのが「断酒」と一応はなっているようなのに。

ともあれ以来、一度も吸っていませんが、たまに夢で見ることはありますね。やばい、吸っちまったという夢。まあこれは、テスト前に全然勉強してないとか履修届忘れて留年しそうだとかの類の夢と同じようなものでしょう。

なぜ禁煙したかというと、いろいろ理由はありますが、やはりタバコを取り巻く環境がものすごーく厳しくなってきて、タバコ一つ吸うにもいろんな手続きが必要で、それがチョー面倒くさかったからというのも大きいと思います。社会の趨勢が禁煙を促したということです。そういう意味では世の中の禁煙キャンペーンの類は、非常に上手くいったのではないでしょうか。私の周りの人間も、一斉にそのような理由で禁煙していましたし(参考「タバコはダサくなった。ユニクロはイケてるようになった。酒は……、どうですか?」)。

で、重要なのは、このように禁煙した連中は、私を含めて一様にもう何十年もそれが続いているということです。タバコを再開したという話は、ほとんど聞きません。

そもそもタバコをやめた連中は、割と厳格な禁煙論者になる気がします。断酒友のぽんちゃんなどは極端で、飲酒時代にどこかで飲もうという話になり、店を予約する際、完全禁煙喫煙分離の飲み屋じゃないと嫌だと言い張っていましたもんね。

私が愛用していた、せんべろの類の店はたいてい禁煙席などなく、それでもタバコの煙はあまり気にならなかったのですが、でも、新幹線などで横にタバコ臭い人が座ると吐きそうになっていました。タバコそのものよりも服の繊維に付着したタバコの臭いが嫌で、頭が痛くなったりする人も多いのではないでしょうか。私の場合、もともとヘビースモーカーだったのに都合が良い理屈ですけどね。

ただこんなふうにタバコというものは「大嫌い」というかたちですっぱり決別できるのです。

酒は楽しいや思い出と紐づいているから……

ところがご存じの通り、酒はそうじゃありませんよね。おそらく再喫煙率よりも再飲酒率の方が圧倒的に高いでしょうし、やはり個人的にも酒には未練があります。私がこのようなブログをやっているのも、やはり未練があってそれを断ち切りたいという思いもあるからです。

ではなぜ未練タラタラになってしまうのかというと、いろんな理由があるでしょうけれども、大きいのは、酒というものはタバコと違って楽しい思い出に紐付いているからでしょう。酒飲んでた時代は楽しかったなあと思い出すと、やはりそういう生活がまたしたくなるわけですよ(参考「酒をやめて失ったものに思いを馳せることも、断酒モチベーションになるかも!?」)。

不思議なことにそう思うときは、酒のつらさ、たとえば飲んだ次の日の絶望感のようなものはすっかり忘れています(参考「酒やめて、「どうしてもやりたくないこと」がなくなった」)。

そんなふうに酒というものは、やはり社会生活と密接につながっている分だけ、未練タラタラになりやすいです。

でも、ですね、その楽しい思い出も、そんなに大したことだとは思わなくなっていきます。記憶は記憶として別モノにしておけるといった感じでしょうか。

このブログでも何度も書いていて恐縮ですが、酒をやめると物事に対する、あるいは人に対する執着というものがなくなるからです。酒とともにあった楽しい思い出に対する執着心もだんだん薄らいでいきます。これは事実です(参考「「大切なことなんてなんにもない」って、あの野宮真貴様も言ってるじゃないか」)。

再飲酒したい気持ちを我慢すれば、その度に、酒や楽しい思い出だけでなく、すべてのことに対する執着心がちょっとずつですが薄らいでいきます。それは人生をどんどん自由にしてくれます。経験者として上から言わせていただければ(笑)。

もし別れた恋人、あるいは配偶者(!)にまだ執着しとるなあと感じている方は、酒やめてみるのも一つの手かも!?

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