酒やめたら、(低)年金だけでも生きていけるんじゃないかと思うこれだけの理由【酒代が必要なくなるから、だけじゃありません】

酒やめて、1550日。

生活をミニマムにしておくと、いろいろ「強い」

現在、老後のロールモデル本というものがプチブームのようです。そりゃそうですよね。年金不全+「年金のほかに2千万円貯めろ」+70歳までの雇用確保+副業解禁という4点セットで、老後は自分で何とかしなさいがデフォの世の中になることが明らかですから。そして「何とかする」の方法論がいろいろあり、だからこそロールモデルが必要というわけです。

「年金だけで」みたいなことが、今後はなかなか成り立たないのです。一部の人を除けば。私などは現役時代も定収入皆無のフリーランスの身の上でしたので、当然のことながら低年金です。

ただ、ですね、昨今のコロナ禍で非常に地味ぃ~に暮らしていますので、もしかしたら老後も年金だけで暮らせるのではないかという思いもまた抱いています。

酒を飲まないので生活がミニマムになっている、ということがまず大前提としてあります。この「ミニマム」は、単に酒代を使わないということでだけではありません。

飲酒という習慣があると、酒だけでなく付随する部分でお金がかかってしまいます。その一つは食事でしょうし、その延長上にある「会食」なんでしょうけれども、酒を飲まないと粗食でもオーケーになるのが実は大きいかも、と思うのです(参考「粗食に慣れることと、それによる時短もまた断酒の効用だと思う」)。

粗食といっても別にカップラーメンとかそういうことではなく、野菜多めとかちゃんと考えてつくるので、結果的に医療費も低減できるというメリットもあるのではないかと勝手に判断しております。

刹那的な快楽を追わない生き方を選べば……

こんなふうなアクチュアルなこと(?)もそうなのですが、それ以上に大きいのは、やっぱり断酒すると心持ちが変わることです。

よくお金の本などに、お金の使い方としてよくないのは、刹那的な快楽を「消費」することと書いてますよね。「快楽」といってもそんなに大げさなものではなく、スーパーで買えば安いのに、あまり考えずにコンビニでスイーツなどを買ってしまう、ということです。確かにコンビニスイーツは魅惑的ではありますが(笑)。でも酒をやめると、そうした刹那的な快楽(を追究するための消費)に意義を見出せなくなるのですよ。

逆に言えば、飲酒時代アル中時代はほんとに刹那的な快楽追究の人生だったので、もうそれはいいやという感じでしょうか。最初から飲まない人や適正飲酒者にはわからない心持ちなのかもしれません。

ともあれアル中が断酒すると、心持ちがイベンタブルではなくカンファタブルな日常指向になりますので(参考「酒やめて幸せになるかどうかはわからないけど、人生、快適になるのは間違いないです」)、結果的にお金がかからない。そしてその「日常」において、掃除などの地味な作業でも、ある程度脳汁出てくれることがわかっている点が断酒者ならではの強みではないかと、身勝手にも考えています。

てなことで、酒をやめると単に酒を飲まないだけでなく、粗食でも大丈夫ということだけでもなく、心持ちそれ自体が変わり、ミニマムライフこそ快適と思えるようになる。だからあるいは年金だけでも、とも思ったりします。そしてミニマムライフが快適という哲学(?)が身に付けば、コロナをはじめとした天変地異にも強いでしょう。

もちろん老後のロールモデルとしては、何もしなくても年金以外にお金を生み出す仕組みをつくることが理想であり、それを若い時から仕込むためにも酒飲んでる場合じゃないということはいつも書かせていただいている通りです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする