酒をやめて、人を見る目が確かになった気がする!?

酒やめて、1039日。

イタリア製の靴コーデ

firststyle

飲酒時代というかアル中時代は、よく周りの人から「アル中だから」とか「飲み過ぎじゃない」とか、その手のことをよく言われました。もちろん心配して言ってくれた方もいますし、意地の悪い見方をすれば、マウントを取ろうとして言ってきた人もいるでしょう。

断酒前と断酒後で分かる、人間の三つのタイプ

で、私はといえば、そういう忠告や思いやり、あるいは誹謗からまったく解放されていました(笑)。そうした言葉は、それこそ高校生に対して親が勉強しなさいと言うのと同じくらい無意味であり、まったくもって聞き流していたのです。ですからもしそれが悪意を伴った言葉だとしても、気にすることはありませんでした。

ところが、ですね。酒をやめてから、このように言っていた人の真意がなんとなくわかるようになったのです。

ほんとに善意で言ってくれてた人は、酒をやめたら、よかったねとか、まあそいつが飲み仲間だった場合、うらやましい俺も見習いたいみたいに言ってくれるわけですよ。そうするとさかのぼって、ああ善意で言ってくれていたんだなということがわかるのです。

こういうパターンもあります。「まだやめてるの? いつ復活するの?」と言う人です。これはいわゆる昭和のオヤジ的な「飲まんでどーする」ではなく、お前がやめて寂しいよー早く一緒に飲みたいよという気持ちから発せられているものだということがとてもよくわかるので、非常に痛いです。そしてその痛さが、断酒を続ける障害になったりします。この辺のことは微妙かつ深いので、別の機会に触れたいと思います。

さて、たちが悪いのは、断酒前も断酒後も、一貫して(?)マウントを取ろうとするタイプです。つまり断酒前には「お前はアル中だ」と言い(本当ですけど)、断酒後は「お前はもうずっと飲めないけど、俺は節度がある飲み方をしているからこれからもずっと飲める」みたいなことを言ってくる人です。なにもそんなアピールしなくても普通に飲んでりゃいいのに、と思いますけど(笑)。

ともあれ、断酒前の「お前はアル中だから」は、断酒後には二つのタイプに分かれるわけですよ。そしてそこで、私としてはその人間の真価というと大げさですが、私に対するスタンスが分かる。これは自分が飲んでいたらわからないものです。

普通の判断ができるようになった!

もう一つ、以前にも書きましたが断酒後は、心にゆとりができたのかもしれません、社会貢献する人の気持ちがわかるようになったことがあげられます。

会社を早期退職し被災地ボランティアを続けている先輩がいますが、その人はイタリア製の靴を履いてオメガのダイバーズウォッチをしてるような、いわゆるレオン男だったので、以前は、な~んかチャラいなあと思っておりました(失礼!)。ですからボランティア行為自体も、なんとなく素直に見ることができなかったのです。ただ今は、本当にリスペクトできるようになりました。そうすると、イタリア製の靴もオメガも輝きを持ってかっこよく見えるから不思議です(笑)。

まあ要するに、酒をやめて普通の人が普通にできる判断ができるようになった、ということですね。な~んだ、そんなことなのかと思いますが、「そんなこと」すらできなかった自分を恥じるばかりです。

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