断酒は我慢というけれども、酒さえ我慢すれば他のものは何も我慢しなくてよくなるという話。

酒やめて、1510日。

酒に自由を奪われて、それを「自由」だと思っていたのだから……

酒やめて4年とちょっとになりますが、しみじみ思うのは、いろいろ我慢しなくなって良くなったなあということですかね。

というと、断酒とは酒を我慢することではないかと言われそうですが、でも逆に酒さえ我慢すれば、他の「もの」や「こと」は我慢しなくていいという事実を訴えたいのであります。

いや、「酒を我慢する」という感覚さえも、断酒して半年くらい過ぎればなくなったように記憶しています。もちろんそれ以降も飲みたくなる時はありますけれども、少なくとも「我慢」という感じではなかったです。突発的に飲みたくなるだけで、脂汗かいて酒の誘惑に耐えるかというとそういうことはありません。「脂汗かいて」耐えるのは、最初の1ヶ月程度ではないでしょうか。私のようにアル中までいっていたとしても。

で、今振り返るに、飲酒時代は、逆に酒以外のあらゆるものを我慢していたということです。ここに気がつかせずに、お前は酒を飲んでいるのだからなーんにも我慢してない自由な人間やでえと囁きかけてくるところが、酒という物質の、まるで意思を持っているかのような恐ろしいところです。

もちろん現実としては酒を飲むと時間とお金を使いますし、それにオールインしてしまうので他のものを我慢せざるを得ない。冷静に考えれば、ですね。

私の場合で言えば、子どもの学費を払って最低限の生活をして事務所を維持して、ということ以外は、もう酒を飲む以外の経験は何もできなかったのが実際のところです。それを「自由」だと思っていたのだから、まったくもってお笑い種ですよ。

もっといろんな経験をしたかったしさせたかった……

繰り返しになりますが、それに気づいたのは酒やめてからです。酒をやめたらわりにいろんなことができるからです。これまた当たり前のことですが。その「自由」は、酒レスであるがゆえの経済的な裏付け時間的な裏付けがあります。

具体的に自分のことで言えば、物質欲はとりあえず満たされるというか、欲しいものが買えるようになったのも大きいと思います。飲酒時代はそうした物欲に無意識のうちに蓋をしていた、あるいは酒によって蓋をさせられていたのです。

また今は、ちょっとサーフィンをしたいと思えばできるしテニスをしたいと思えばテニスもできるといったところです。旅行は今は行けませんけれども、いずれ行こうと思えば行けるようになるでしょう。

むろん、外食もできます。アル中晩年(?)は、外食といっても、いわゆるせんべろというコスパよく飲める店に限られていましたからね。本当にいつも書いているように、経験がモノラルになっていました。

いろいろ経験するということは、人生にとって大きいですよ。要は人生を楽しめるということですよね。このことと酒を飲むことを引き換えにするのなら、そんなに悪くない取引だと思います。

惜しむらくは子どもがまだ成長期にあったときに、酒をやめていろんな体験をさせてあげたかった。こればっかりは本当に悔やんでも悔やみ切れません。酒によって本当に大きなものを失っているのですね。怖い怖い。

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