飲んでいると「人生やりたい放題モード」に突入できない理由。

酒やめて、2476日

生活をミニマムにすることが大前提です

ここのところ、個人的に「人生やりたい放題モード」に突入といった話を続けざまに書かせていただきました。家族などに対する責任がなくなった人生の局面に際して(大げさ)、酒を飲んでなかったら何でもできちゃうよということで、自分の人生にこんな日が訪れるとは感慨深いものがありますよ。しつこくてすまんが。

でもって、一昨日書いたことの繰り返しになりますが、酒をやめたばかりの頃は、子どもに対してだとか親に対してだとかの責任がなくなったら、飲酒を再開して存分に酒を飲もうと考えておりました。

ただし今、それをする気にならない……というよりも、「飲酒」と「人生やりたい放題モード」は両立しない、という考えに至っております。

というのは、「人生やりたい放題モード」は、生活をミニマムにする必要があるからです。このあたり矛盾するようですが、私の場合でいえば「やりたい放題」=行きたいときに海に行ってサーフィンをするですので、そうした時間が必要であり、そのためには働く時間を最小限にしなければならない。だから、必然的にあまり稼げず、したがって「やりたい放題」以外の生活をミニマムにする必要があります。

私はフリーランスなのであまり参考にならないかもしれませんが、ただ退職した組織人であっても、年金支給年齢までバイトする、みたいなケースってあると思うのですよ。

その際、生活のためにベタで働いてしまうと、なかなか「やりたい放題」にはならない。でも、子どもも独立して自分一人なら(あるいは夫婦二人でも)、借金でもない限り、そしてミニマムな生活を心がけていれば(むろん税金も社会保障費もミニマムになるよう工夫する)、そんなにベタで働かなくてもなんとかなります。だから繰り返しますが、「やりたい放題」モードにするのは、生活をミニマムにするということが前提となると思います。

でもって飲酒習慣があるとそうはならない、ということを言いたいわけでありまして。

飲む生活だと人生をインベンタブルにしたくなる!?

いや、もちろん、家で安酒だけ飲んでいれば、そんなにお金がかからないのかもしれません。ただ、その場合でも当然、医療費の問題が出てきますよね。

医療費のことは一応措いておいたとしても(大問題だが)、たまには外でも飲みたくなるでしょうし、交友関係も必要のない関係も含んで大きくなりがちです。そして怖いのは、必要のない交友関係のために飲んで、それを自分の生きている証にしてしまうことです。飲んでいる時代の私はまさにそうでした。

要は飲酒習慣があると、人生「イベント」で満たしたくなってしまうのですよ。その「イベント」を求めるとお金がかかる。

むろんお前が今やっているサーフィンだって「イベント」じゃないかと言われればそれまでですし、サーフィンこそ日常だ(本当はそれが理想)というつもりもないのですが、ただ酒飲む習慣があると、人生に、なんというか刺激を求めるようになり、それは結果的に非常にコストがかかり、生活をミニマムにすることができません。パリピ指向になると言ったらいいのでしょうか(そんないいもんでもないが)。

いつも書いていて恐縮ですが、酒やめるとイベンタブルよりコンフォータブルで、そのコンフォータブルの一環として、私の場合、サーフィンがある、てな具合になったと思います。

とまあ、理屈ぽいことを書かせていただきましたが、酒を飲んで生活をミニマムにするのはなかなか難しく、したがって飲酒習慣を持ちつつ人生を「やりたい放題モード」にするのも難しいということを言いたかったのでありました。

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