飲まない家族連れは本当にコスパの良い店を知ってますよね。それに比べて呑兵衛というところの者は(苦笑)。

酒やめて、1508日。

飲食店は「接し方」次第なのだ!?

コロナになってからこっち、世間の皆様と同じように飲食店を利用する機会が減り、今は行くとしてもスシローとハイコスパ焼肉くらいです。それも当然ながら酒は飲まず、さくっと切り上げます。そしてつらつらと観察するに(?)、そのような指向のお客さんが、家族連れを中心に案外多いということも以前書かせていただきました。驚くべきことに、お父さんも飲んでないんですよ(参考「コロナは家族の飲食スタイルを変えるのか。そして酒文化はどこへ行くのか」)。

そういう家族連れは、飲食店とに関するコスパということをよく考えています(私から見れば)。というのは、スシローやくら寿司などに比べてちょっと落ちるなという感じの回転寿司は、今や閑散としていますもん。

また、酒を飲むととたんに高くなることもよく知っていて、以前からそういう利用の仕方をしていたのでしょう。

そして飲食店に対する接し方のようなものは、おそらくコロナ後、変わってくると思います。コロナが一応の収束を見た、じゃあ昔のように街に繰り出そうぜええ、とはなかなかならないようにも思います。断酒者としての希望的観測かもしれませんが、ただ「コスパのいい店で飲まない家族連れ」はその一端であるように見えます。

「場」に対する価値を考えるようになった!

そういうふうな時代の流れを見るにつけ、私が飲酒時代、いかに漫然と飲みに行っていたかということがわかります。

いや、私の場合は自慢することじゃないですが、アル中晩年(?)については、いかに安く飲めるかをとことん追究していたのでそれほどお金を使ってないですが……、それでも一回、2500円程度は使ってましたね。それよりも酷かったのは、たとえばグループで飲みに行った時など、隣の人とだらだら話していて、酒はそれなりに飲むけれども、ほとんどつまみなんて食べてないのに、はい、時間でーす、男は4000円ねとか言われたりして、これは今からすれば、烏滸の沙汰だったと思いますよ。4000円なんて、そういう居酒屋飲食以外なら、超絶使いでありますしねー(参考「お金って使いでがあるものなんだなあとしみじみ思いますよ。酒飲まなければ」)。

で、それで何かを得たかというと何も得てなく、なんだかすげえ企画を思いついたあーと言いつつ翌朝忘れていたりとか、そういうことばかりだったような気もします。情けないことに。

その点、お酒をやめてからというものは、コストをかけたところの「場」というものがもたらすバリューについて考えるようになりました。大げさですが。

これは元アル中に限った話ではなく、コロナを一つのきっかけとして、「場」というものがあらゆる意味で吟味される時代にだんだんなっていくでしょう。そうした時代と断酒というものは親和性が高い、断酒はアフターコロナを生きていく上でのアドバンテージになるのかなあ、なんて、都合よく思ったりもしていますが、何か?

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