「人生−飲酒人生」で、膨大な時間と可能性が生まれるよねという話。

酒やめて、1988日。

possible

酒飲まないと、「できてしまう」もんだ!

ここのところ私にしては珍しく仕事が立て込んでおりまして、長期出張も含め4月からこっちずっと休みなしで働いておりました。

このようになることは分かっていたので、2日に一度のブログ更新について果たしてできるもんだろうかという不安もあったのです。長期出張関連案件のほかにレギュラーの仕事も若干ながらあり、親の介護(というほどたいそうなものでもないが)もあって、私の能力ではキャパ超えるかなという気もしていたのですね。でも、結果的にできてしまいました。もちろんそう、酒を飲まないからです。

これもいつも書かせていただいて恐縮なのですが、酒やめると膨大な時間が出現します。それを使ってじゃあ仕事でもするかと淡々とやっていると、まあ若干ながらも脳内快楽物質が出てきますし(これは飲酒時代にはなかったことでした。あの頃は、仕事とは酒飲むために早く終わらせる以外の何物でもなかったのです)、つまりそこそこ興に乗って仕事ができるわけで、さらに予定していたよりも早く終わってしまうという事態にもなります。私の場合、齢も齢なので仕事遂行能力そのものは衰えていますけれども、その衰えを膨大な時間で捻じ伏せてしまうという感じですかね。

とまあそんなことは今さらなのですが、やっぱりその、酒やめて生まれる時間というものを「意識」できるところが、ある意味、断酒者特権だとも思っているのです。

断酒者最強論(?)には根拠があった!

アル中→断酒者の場合、酒を飲んでいた人生が長かったので、ずっと酒に足を引っ張られ、それでも何とか生きてきたわけですよね。だから都合よく思い起こせば、酒に強奪される時間以外の時間を使って何とか仕事も含め人生との折り合いをつけてきた、そのために犠牲にしたものも途方もなく大きかったけれども、という感じでしょうか。私などは、折り合いついてなかったですけれども(苦笑)。

とにもかくにもそんなふうにやってきて、そこへ持ってきて酒を飲まない人生――膨大な時間が出現するわけです。むろん、エネルギーも経済力も湧いてくる。そして、そのことを意識できる。

つまり、ですね、酒によって圧縮された人生によって培われた(?)折り合いつけ能力に膨大な時間が与えられる、そうすると大概のこと……というと語弊がありますが、要は、これまでやってきた程度のことはラクラクとできてしまう。私のように加齢によって遂行能力そのものが衰えていても、冒頭に記したように大型案件をこなしつつ、レギュラーの仕事もしつつ、2日に一度のブログも書けるというふうなことになります。

と、エラソーですが、この仕事の大変さはあくまでも「私にとって」であり、普通の人にとってはどおってことないのでしょうが、ただ、アル中時代なら絶対に無理であり、それができることに驚いたりもしております。

と、あくまでも自分基準ではありますが、自分の期待する以上のことができてしまう。そしてこれは、断酒によって生まれた時間を意識できるから、とも考えるのです。でもって、それは飲まない人や機会飲酒者は意識できないものでしょう。というわけで、な~んだ、断酒者最強やんという身勝手な理屈がここに出来上がるわけですよ。

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