人生を楽しむために飲む酒と、人生に絶望したがゆえに飲む酒。そしてストロングゼロがもたらした絶望の大衆化。

酒やめて、1184日。

「ストロングゼロは不味い」は本当か

収入と飲酒率の相関関係を見ると、総じて収入が高いほど飲酒率は高いのですが、ただドランク率つまりぶっちゃけアル中率はといえば、これは収入が低いほど高くなるそうです。

まさに18世紀から予言されていたことですね。ビール街とジン横丁です(参考「「ジン横丁」に描かれた18世紀のイギリスに、今の日本があまりにも似てきていてヤバいんじゃないかという件」)。

豊かな人が人生を楽しむためにビールを飲み、貧しい人は人生に絶望しているが故にジンを煽るというわけです。そして後者がアル中になります。やっぱり貧困と絶望とアル中、あるいはアルコール依存は絶ちがたく結びついているのです(参考「老いと貧困と酒は、手に手を取ってやってくる」)。その絶ちがたいものを断つのが「断酒」ですが(笑)。

で、本来、酒造メーカーはビール街的な飲み方をする人をターゲットにするべきですし、そうしてきたはずです。ただし日本ではご存じの通り、ここにきて状況が大きく変わってきています。9%の高アルコール缶チューハイ杯が、各社とも一番力を入れている商品になりつつあるようにも見えます。

そうしたストロングゼロをはじめとする9%缶チューハイは、エタノールに近い精製アルコールを原料とし、それに強い炭酸と甘味料でお化粧したものですよね。普通は皆さん不味いと言います。でもこれは美味しいんですよ。私はこれを割材として使ってましたけれども。

いや、「美味い」というのはですね、ストロングゼロは人生の絶望が大きければ大きいほど美味しくなるとよく言われますが、実感として本当によくわかりました。「絶望」をストゼロと一緒に流し込むときにある種の倒錯した「美味さ」が出現するというか。ストロングゼロの物質的な味がどうこうという問題ではないところまで逝っていたわけですよ、昔の私というところの者は。そしてそういう方はわりに多いんじゃないかと思います。

絶望飲みの間口を広げたストロングゼロ

酒には人生を豊かにする側面と、人生の絶望をさらに深くする面があります。人生に絶望するから酒を飲み、さらに悪いほうへとどんどん転がっていくという構造です。

で、今の日本を見ると、もう社会全体がそうしたジン横丁的な飲み方をせざる得ないように追い込まれているということがものすごくよくわかります。ですからストロングゼロが、福祉の水と言われるわけですよね。言うまでもなく、コロナ禍はその状況をさらに深化・拡大化していくでしょう。

そしてなにしろ安いですから、「ジン横丁」の入り口がぐんと広がるのです。

そういうふうに酒の悪い側面を、社会全体が酒造メーカーも含めてどんどん拡大し、魔性の水を利益に変えようとしている今、やっぱり酒を飲まないという生き方は、ますます意味が大きくなっているのではないかという気がします。

余談ながら、飲酒行為というものを媒体として考えてみると、お金がなくても幸せというのは、いかに欺瞞かということが非常によくわかります。そして飲酒は、お金がない方向にどんどん導いてくれるというわけです。こわいこわい。逃れる道は一つですねー(笑)。

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