「一生懸命働く→酒で弛緩する」社会から、「一生懸命働く→一生懸命シンキングする」ことが必要な社会へ。どう考えても酒は邪魔です。

酒やめて、1704日。

時間について、アル中→断酒者だけが持ち得る特権がある!

一昨日、「酒にまつわる出費は固定費であることが怖いという事実を、もう一度確認しておきたいと思います」を書かせていただきました。要は酒が固定費になってしまうと自己裁量できるお金がなくなり、勉強することも経験することもできなくなる。これまではそれでもよかったかもしれないけれども、今の時代、それじゃあヤバいんじゃないのという仮説です。そして最後に、これは時間も同じだと書きました。その続きというわけでもないのですが、自分で裁量できる自由な時間の重要性について考えてみたいと思います。

まあしかし、このブログでも散々書いていてマジ恐縮なのですが、ホントのホントの話、酒をやめると時間がわさわさと湧いてきます。逆にいうと飲んでいる時代は、「わさわさ湧いている」と今実感している量の時間を失っていたのですね。怖いもんですよ。

でも、ですね、アル中→断酒者がお酒を飲まない人や適正飲酒者(自称含む)よりも優れている点があるんです。それは、そのわさわさと湧いてくる時間を感じ取れることです。つまりアル中時代、アル依時代は、酒飲みながらでも何とかやっていたわけですよ、仕事にしても、日常タスクにしても。それで破綻したり、破綻寸前までいったりしていたけれども、とにかく生きてきた。社会生活を送ってきたのです。

で、これが酒をやめると、その「何とかやっていた」ことはそのままに、さらに酒で失われた時間が人生にもたらされるのです。これは、これはアル中→断酒者だけの特権(?)と言ってもいいでしょう。わが軍だけが持ち得る感覚です。その時間の存在の大きさを意識できるのが大いなるアドバンテージではないかと都合よく考えているわけです。

酒飲んでいるいると、人生が「固定時間」だけになってしまう!?

さて、このことを前提に「自己裁量の時間」ということを考えてみます。

これまでの社会では、「一生懸命仕事をする→酒で疲れを癒す」という生き方も妥当性を有していました。しかし今は、就業時間以外は、先行き不安定な人生に備える時間になってしまっています。

サントリーの45歳定年制(構想・参考「ついにあの酒造会社のサントリーが「酒飲んでる場合じゃないよ」と言い出した件」)が端的であり、要するに45歳までにそれ以降の人生の目途を立てなさいというわけです。就労している以外の時間を、そこを目指してシンキングしていかなければいけないということですよね。この45歳定年制は大きな衝撃を持って迎えられましたが、45という年齢がどうこうじゃなく、正社員になったとしても、一生そこに寄りかかれないことはもう必然になると思われます。

例外は今のところ定年まで保障されていて共済年金もある公務員なのでしょうけれども、ただ公務員にしたところで、たとえば教員は、今回のコロナ禍におけるICTの導入によって、正規の就労時間外をその勉強に充てていたと聞きます。安定した立場でも勤務時間外をスキルアップのために使わなければいけない時代になりつつあることを示していますよね。

一昨日、「固定費」の話をさせていただきましたが、「固定時間」ということを考えると、酒を飲んでる場合、飲んでいる時間+頭が使いものにならない時間を合わせて固定時間になってしまいます。そして人生が、就業という固定時間と酒にまつわる固定時間だけになり、自分で裁量できる時間、将来のために布石を打つ時間がまったくなくなってしまいます。

繰り返しますが、今まではそれでよかった。「一生懸命仕事をする→酒で疲れを癒す」が機能していた。しかし社会構造が一大転換を遂げようとしている今、「一生懸命働く→一生懸命シンキングする」にしていかなければならない。まったく嫌な世の中といえばその通りなのですが、そんなふうに、とんでもないパラダイムチェンジが起きようとしているのは事実でしょう。

ですからたとえばサービス残業などでも、以前であれば会社のために尽くしている側面もあったのかもしれませんが、今はもうサービス残業していること自体が自分の将来を削っていることになりますし、これを飲酒に置き換えてもまったく同じであるかと。

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