河本準一さんの「お酒は月に一度一杯だけ」にみる、「飲酒」と「医療」の溝。

酒やめて、2478日

1

「月に一度だけ」はどこから出てきたのか

膵炎を患っていた芸人の河本準一さんが10年ぶりに飲酒解禁となったそうで話題になっています。たとえばこの記事(参照……「闘病→断酒→21キロ激痩せの「次長課長」河本準一、“10年ぶりの一杯”に涙 同期や後輩に見守られ「シュワ~ってしみていく」」)ですね。

断酒者的には、10年も酒断ちしていたのだから今さら飲むなんてもったいない! になりますけれども、まあ余計なお世話です。

この記事からもわかるように、芸人の世界のような場所にいると、酒が仲間との紐帯に文字通り紐付いていて、なかなか断ちがたいものがあるのでしょう。たとえ月に一杯だけでも。

で、この「月に一杯だけ」は医師の指示だそうですが、これに非常に違和感を覚えてしまいます。こちらは余計なお世話ではなく、タイトル通り「飲酒」と「医療」の溝みたいなものを感じるからです。

以下、私の父や私自身の経験から書かせていただきたく、そんなわけでオンリーツーエビデンスですが、そんなには間違ってないと思います。

河本準一さんの主治医の先生がどのような立場というか知見から「月に一度一杯だけ」としたのかはわかりませんが、それぐらいだったら膵炎の予後に影響を与えないということなのでしょう。まったく飲まない方がもちろんいいけれども、立場を考えてということもあるのかもしれません。あるいは「月に一度一杯だけ」はキャッチ―なので、メディアがそのように話を「まとめた」のかもしれません。

でもここで問題と思われるのは、その「月に一度一杯だけ」がそれ以上飲んでしまうトリガーになる可能性が考慮されていないように、少なくとも外野からは見える点です。

あくまで個人的な体験から申すのですが、以下のようなことだと思うのですよ。

医療のエアポケットがあるような

患者がアルコール依存症でない場合は、たとえ飲酒習慣があってもその飲酒習慣が及ぼす身体への影響については、たとえば内科医はガイドラインを示すだけでそれ以上は踏み込まない。そんなふうに見受けます。

いやもちろん個人的に踏み込む先生もいるんでしょうけれども、基本的にはそうです。

ではアルコール依存症、あるいはそれが疑われる予備軍の場合はどうするかというと、そのところは精神科に任せるというふうになっています。まず精神科に行ってアルコール依存を治療してから身体的な問題を考えましょう、あるいは並行してやりましょうというスタンスです。

つまりアルコール依存の精神的な部分への対応とアルコール起因の身体的不調への対応が分業しているのですね。

でもこの分業(そしてその独立した治療同士の協業)は、アルコール依存症、それが疑われる人にのみ適用されるので、断酒明けしたような人に対しては適用外になります。さらに踏み込んで言えば、アルコール起因ということが医療界において「鬼っ子」のように扱われているような印象も受けます。

なので、アルコール依存じゃないけどもアルコールの問題を並行して考えたほうがいい患者の場合、医療のエアポケットみたいなところに落ちてしまうのかなと思うのですよ。裏を返せば、飲酒習慣がからむと、身体的不調の治療を受けるにしても、問題が非常にややこしくなり、それは加齢とともに増していく、ということですよね。

「圏外」に来れてよかったし、ずっと「圏外」にいたいと思いますわ。

カテゴリ別インデックスページはこちらです。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする