酒やめて、1872日。
年金リッチ世代は昼から飲める!?
今年で86歳になるうちの父などを見ていますと、やっぱり酒量は増えましたね。下手すりゃ昼から飲んでいます。友人の父上でもそういう方は多いです。うちの父の場合、2年前に連れ合いをなくしており、やっぱり寂しさというのもあるでしょう。
あるいは体力的に衰えて、好きだった山登りや水泳ができなくなったので、圧倒的に暇だということもあると思われます。
経済的にはいわゆる年金リッチ世代なので、まったく問題ないようですから、それもまた良しなのでしょう。要するにアル中になる自由がある世代です(参考「僕らにはもう「アル中になる自由」がない」)。まさに楽隠居ですね。
そういうふうな、ある意味恵まれた立場であれば、いくら飲んでも良いでしょうし、私などもそういう状況が訪れるのなら、再び飲んでもいいかなと思います。私の場合、健康のためではなく(「健康イコール最高の節約」という間接的な理由はあるが)、「飲んでる場合じゃない」という社会的理由で断酒しているからです。ただし我々世代とそれに続く世代は、ごく一部を除いて年金リッチ世代ような「楽隠居」は不可能でしょう。
とまあそんなふうに悲観的に考えなくても、とりあえずやることがあるから飲まない、という一点に集約されるようにも思います。私の場合、父との人生との対比において。
犠牲にしてきたものの大きさに愕然としますよ
飲んでいると、経済的にも気力体力的にも時間的にも逼迫します。だから酒飲むこと以外のすべてを諦める人生になってしまいがちです(参考「酒が楽しみの人生は、酒しか楽しみがない人生だと気づいてしまった」)。
なので、誰にも訊かれちゃいませんけど声を大にしたいのは、やっぱりやりたいことがあるから酒飲まないというのは大きな断酒モチベーションになるのです。
これって綺麗事に聞こえるかもしれませんが、実は自分の中では非常にプレゼンスが大きいのですよ。なぜならば酒飲むことによって、これまでの人生でやりたいこと、やるべきことを犠牲にしてきたからです。
その中でも一番大きいのは、やっぱり子育てに全面的にコミットするということですね。私がTwitter上で勝手に断酒仲間認定させていただいている方も、酒やめて息子さんと一緒に野球できるようになった、といったツイートをしていますが、そういうのを見るとほんとにうらやましいですよ。そのように、人生で最高にやるべきことを失ってしまったという悔恨は自分の中では非常に大きく、だからこそ、もうやりたいことを失いたくないという思いがあります。
その点、うちの父などは私にも非常によくしてくれたと思います。私の趣味などに最大限にコミットしてくれました。だからこそ、もう今は飲んでも良いと言ってもいいのかもしれません。
そう考えると「飲む」ということは、ものすごーく重いということですよね。私にはとうてい抱えきれません。だから断酒を続けられるわけでありまして。
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