酒が楽しみの人生は、酒しか楽しみがない人生だと気づいてしまった。遅まきながら。

酒やめて、1274日。

「趣味・飲酒」は「趣味・〇〇」と両立しない

以前も書いたことですが、大昔の新入社員当時、社内報の新入社員紹介の欄に「趣味・飲酒」と書き込み、そのように紹介されたことがある元アル中の断酒者でございます。

その当時は私とてアル中ではありませんでした。何しろそれまで学生やっていたので、金銭的にアル中になるほど飲めないという事情もありましたし。当時は今と比べて、酒が非常に割高だったのですよ。

そう考えると今はストロングゼロに象徴されるように非常に安く宅飲みできますので、大学生でもアル中リスクがありますよね。私の大学生の甥っ子などは、「やっぱブラックニッカをハイボールにするのが一番安い!」などと宅飲みコスパ道にケツドウを上げてますから。大丈夫か?

ともあれ当時は「趣味・飲酒」はわりに「実益」であり、他の部署の役職者からも面白がられて新入社員では行けないようなところでゴチになっていました。

ただしその当時は、「趣味」として他にもやっていることはありました。サーフィンもテニスもちゃんと(?)やってましたし。

ところが、ですね、酒飲み習慣が重なっていくと、趣味が飲酒だけになります。これは間違いありません。

もちろん宅飲みなら、DVDで映画観ながら、だとか、本読みながら飲めるので、一応「趣味・映画鑑賞」「趣味・読書」と「趣味・飲酒」は両立するのかもしれません。ただそれは宅飲みの場合であって、せんべろなどに足しげく通うようになるとそれさえも両立不能になります。

逆に、というのも変ですが、私の元同僚にして元飲み友は、土日に会社がないと、どうしても朝から飲んでしまうので、ゴルフに車で行くといいます。そうすると、少なくとも帰宅までは飲めないので。力技ですね。彼の場合、ゴルフと飲酒はトレードオフの関係になってるのです。

このことも逆説的に、酒は他の趣味と両立できないことを証明(?)しています。

飲酒習慣は、「体験」を阻害する

で、この齢になって思うのは、人生は体験でできているなあということです。そしてそのために時間とお金とエネルギーがあるというかたちですよね。

いかに「体験」したかで人生の豊かさが決まるというのは、よく言われることですが、やっぱり本当に実感しますよ。酒飲んで、酒しか思い出がないのはさびしいことですし、取返しがつかないことをしてしまったという思いもまたあります。

でも自分だけのことなら、まだいいんですね。

何度も書いてきましたが、恐いのは、その体験レスが子どもにも影響してしまうことです。お父さん(お母さん)が酒ばっかり飲んでると、子どもに体験をもたらすことができないのです。(参考「親の過飲酒は、子どもの経験チャンスを奪う」)。

これからの時代を生きていくにあたって、子どもの時にいかにいろんな体験をしたかということは非常に大きな武器になります。いわゆる非認知能力の形成というやつですね。それをお父さんあるいはお母さんが阻害していたらシャレになりません。

人生は時間とお金とエネルギーでできていて、酒にオールインすると、この貴重な三つを無駄遣いし、体験レスになってしまいます。マジ後悔ですわ。

結局のところ、酒が楽しみという人生は、酒しか楽しみがない人生になってしまうということですが……、実はその先もあって、その、酒しか楽しみがない人生さえも酒でダメになってしまうんですね。最後には。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする