感染症の収束には医学的なものと社会的なものがあるそうで。飲酒も同じですよね。

酒やめて、2268日

コロナ第9波というけれども……

コロナについて、専門家「第9波キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」だそうで、一方、一般社会は「もういいよお」です。医学的に見れば確かにそうなのでしょうが、しかし今さらどうする感が絶大です。インバウンドはじめ緩和に完全に舵を切ったわけだし、5月からは5類扱いだしで、たとえその第9波とやらが「狂暴」なやつだとしてももうどうしようもないでしょう。

なんでも感染症には医学的な収束と社会的な収束があり、確かにコロナの場合、医学的な収束という観点からすれば終わってないわけで、そりゃ第9波も来るでしょうし、なんなら今後、こじらせ中高年の反抗期のように第59波なんてのも来るかもしれません。

話が前後しましたが医学的収束というのは、ワクチンや治療薬でトドメを刺すことだそうです。これについては感染症の歴史上、例外的に達成できたのは天然痘くらいのものだといいます(参照「歴史が示唆する新型コロナの意外な「終わり方」」)。なんでも今、その天然痘のウイルスをアメリカのほかにロシアも保管しているそうで、一方、今の若い世代は「医学的に収束」したがゆえに種痘なんてしてないですからねー。剣呑な話ではあります。

それはともかく、では他の感染症はどうやって終わったかというと社会的に収束したということになります。前掲の記事によれば、たとえばインフルエンザの場合、流行するけれども、そういうものだと受け入れている。これが社会的収束なのだそうです。

コロナはインフルエンザと違って決定的な治療薬はないけれども、だんだんそうなりつつあり、しかし終わらせたくない謎の勢力がいるようにも感じてしまいます。

飲酒は「社会的収束」のほうが切実!?

さて断酒ブログでなぜこんなことを話題にするかというと、飲酒も同じだということですよ。医学的……というか生物学的な収束と社会的な収束(収束=酒断ち)がある。

医学的(生物学)収束は、医者から「これ以上飲んだら死ぬでー」と言われてやめるケース、あるいは加齢その他によって身体が受け付けなくなる人もいるでしょう。受け付けなくなる人は幸せであり、反面、いわゆるエリート肝臓の持ち主で「俺は数値的に問題ないから飲める( ー`дー´)キリッ」の人が一番やばいということはいつも書いている通りです。

一方、飲食における社会的収束というものもありまして、自分が今、置かれている立場や状況、老後を含む将来のことを考えたとき、飲んでいる場合じゃないと悟って、じゃあ酒やめようとなることで、私などは確かに医学的にも差し迫ってはいましたが、ただそれだけでは――つまり「身体に悪いから」だけでは酒をやめられたとは到底思えず、やっぱり社会的に「飲んでる場合じゃない」「飲んでいたら人生詰む」と心底考えたことが、断酒の強い動機であり断酒継続のモチベーションになっています。

この社会的収束はネガティブに考えれば、遅れれば遅れるほど「人生詰む」が近づくわけで、逆にポジティブに考えれば、早くやめられれば人生の可能性がバリバリ広がります。まあ私などはマジ遅すぎたと涙してしまうのですが。

それはともかく、先の「俺は数値的に問題ないから飲める( ー`дー´)キリッ」の輩は、意識的にあるいは無意識に医学的収束と社会的収束を混同させています。余計なお世話ながら。余計なお世話ついでに言えば、それは、社会的側面に目を瞑り、医学的側面だけで「第9波」「第9波」とアップを始めている謎の勢力と似ているような気もします。

だからどうしても、断酒erは「第9波キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」を、冷ややかな目で見てしまうのですよ。

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