酒やめて、1229日。
数日前に、「自由とは、金と時間とエネルギーの総和である」といったことを書かせていただきました(参考「自由とは、時間+エネルギー+金の総和であり、この三つをすべてダメにするのが酒だという件」)。
ケンカできないのは貧乏人、ですよね
それからというもの、やっぱそうなんだよなあ、わいもたまにはいいこと言うなあ(←馬鹿)などとつらつらと考えていたら、なーんか見えてきたものがあるのですね。ま、大げさに言えば、今、このような時代にあって幸せに生きるために大切なこと、みたいなことが。
スピリチュアルぽくもあるんですが、ただまあ個人ブログなんてそんなもんだ、ということでお付き合いいただければ幸いです(笑)。むろん、断酒するということもからんできますんで。
「金持ちケンカせず」なんてことがよく言われます。ただ反論として「本当にケンカできないのは貧乏人だ」ということも、それ以上によく言われます。これはまったくその通りで、金がないと、稼ぐために嫌なことでもやらざるを得ず、嫌なヤツでも付き合わざるを得ず、本当の意味での自由を得られない、というものですよね。大なり小なり、みんなそうやって生きているのでしょう。だからこのことは、とてもよくわかります。
また、時間というものは当然、すべての人類に平等に与えられていて、それは有限のものである。これもよくわかります。
無駄に疲弊するのは、将来を食いつぶしていることに他ならない?
問題は、エネルギーですね。これがちょっとわかりにくいかもしれません。もし今、これを読んでくださっているあなたが三十台とかある程度若かったら、人生におけるエネルギーの量は無限だと思っているかもしれません。がんばればなんでもできる、と。でそれが上手くいかないから酒を飲むのかもしれませんね。私もそうでした。
ただジジイになって思うのは、決して人生におけるエネルギーは無限ではない、ということです。これは単にジジイになって体力気力衰えた、とか、そういうことではないのです。ま、ちょっとそれもありますけど。
要は、一人の人間が使えるエネルギーの量は決まっているのですよ。だから人生において、嫌なことにエネルギーを使うのは、損も損、大損なのですね。いわゆる「無駄に消耗する」てやつです。
今、社会や世界の先行きが非常に不透明で、というよりも、産業革命時代以来の時代の激変期にあって、どんなに大きな組織(公務員含む)に所属していても、そこで単に稼ぐために嫌々仕事をしいると、つまり自分のエネルギーをその嫌なことに使っていると、まず一つは、その組織オリエンテッドな能力しか身につかず、先行き、非常に使えない人間になるリスクがあるということがあります。そしてなによりも、そんなふうに消耗していると、自分の将来に対する布石を打つためのエネルギーが使えないということですね。
無駄に消耗していると、結局今が不幸なだけでなく、将来的に幸せになる可能性も食いつぶしてしまう……、というと、いかにもスピリチュアルな感じで申し訳ないのですが……。
と、なかなか説明しづらい俺様理論を書き連ねてきましたが、言いたいことはですね、要は、酒飲んでエネルギーの無駄遣いをするということは、嫌な会社に隷属しているのと同じで、自分の将来に使う、もっと有効に使うべきエネルギーをどんどん食いつぶしている、ということなんですよ。
有限のエネルギーの有効活用のためにも、酒やめようってことですよね。もっと早く気づけばよかったわ。私の場合。
で、まずは酒飲まず、そして自分が無駄に疲弊してないかどうかを見つめなおすところから、幸せが始まるのではないか、と。まあ謎理論かもしれませんが、実感を込めて主張させていただきたく存じます。