自由とは、時間+エネルギー+金の総和であり、この三つをすべてダメにするのが酒だという件。

酒やめて、1215日。

学生時代のまま時が止まっていたね

というフレーズがユーミンの歌の中(「心ほどいて」)にあります。1991年の映画『波の数だけ抱きしめて』の冒頭のシーンにも使われていました(30年前の映画なのに、織田裕二が今と変わらんw)。

あるいは、トニー・ベネットの「ジョアンナの思い出」には、

(ジョアンナと一緒にいれば)どんな街もパリ、いつも日曜日、どんな季節も5月

という歌詞があります。

自由であることを確認するために酒を飲むという矛盾

これもねー、めちゃよくわかるんですよ。学生時代のままの心持ちでずっと生きていたい、毎日が5月の日曜日で、パリにいるような気分で生きていたい。ま、パリには行ったことないですがね。ともあれ私の場合、そんな思いが人生を支配していたような気もします。馬鹿です。

馬鹿なりに言い訳すれば、私たちの年代では、上に大学を持ってない高校出身だと、高校時代は、大学に入ればいくらでも遊べるのだから今はとにかく勉強しろと徹底的に仕込まれます。そしてその反動で、本当にいくらでも遊んでしまいます(理系学部だとまたちょっと違うのでしょうけど)。その結果、私などは今でいうところのリア充でも何でもなかったのに、学生時代が人生の中で燦然と輝くひとときになったりするのです。その時の雰囲気と価値観で社会に出てしまい、いろいろ齟齬をきたすわけですね。やっぱり馬鹿です。

当然ながら、そうした「学生時代のまま時が止まっていたね」なメンタリティを社会は許してくれません。ただ本人の中ではそういう思いがあります。で、そのギャップに悩み、酒を飲むという本当の愚か者の行為をしてしまいがちです。それが講じてアル中になるというパターンですね。

学生時代のままというのは、心持ちが自由ベースであることです。卒業後もなるべくそれに近い精神状態でいたいと思い酒を飲むのですが、よくよく考えると酒というのは自由からどんどん人間を遠ざけていく存在ではあります。

時間はもちろんエネルギーも、人生における総量は決まっているのだ

そこでタイトルなのですが、酒をやめた今つらつら思うに、自由であるということは、時間がありエネルギーがあり金がある、その総和なのですよ。

これらの条件を満たしてはじめて自由な心持ちを手に入れることができます。そして実際に自由に行動することができます。

酒というものは、なんとこの三つすべてを奪ってしまうのですね。酒を飲めばもちろんお金も使いますし、酒を飲むこと自体、なんの生産ももたらさないのにも関わらず、翌日のエネルギーを奪います(参考「「酒飲むのも疲れるよ」を分析してみると、わりに怖ろしい結論になる件」)。時間もどこかに飛んでいってしまいます(参考「断酒には「光陰矢のごとし」をストップさせる力がある!」)。

このうちお金は変数ですよね。人によって違います。ただ、飲酒習慣によってパフォーマンスが落ちると稼げなくなることは確かで、それはすべての人に共通しているでしょう。

一方、エネルギーと時間は、人間の人生でその総量が決まっているのです。時間はもちろんですが、エネルギーも人生のなかで使える量は決まっていると断言してもいい。歳を取るとそれをめちゃ実感します。

で、この定量から、その一部を酒で奪われるのは、もう人生において圧倒的に不利で、自由の絶対値を削がれることにほかなりません。

というわけで、学生時代の心持ちで自由に生きたければ、とりあえず酒を飲まない。それが絶対条件になる。こんなことに今さらのように気づいた愚か者がいますよ(笑)。

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