アルコール依存症は病気なのに、暴言対象になってしまうという理不尽。

酒やめて、1247日。

自己責任なのは多重債務も同じなのに!

昨日、大酒飲んでいると、ときとして「お前は脳が萎縮している」と暴言を吐かれてしまうという話をしました(参考「「大酒飲みである=脳が萎縮」が常識化している今、酒飲みに対する評価も変わらざるを得ないという話」)。

しかし考えてみればこれって理不尽なことだと思いますよ。アルコール依存症は、病気だと認定されています。そして病気の人に対して、脳が萎縮しているなどと指摘するのはヘイト以外の何物でもないでしょう。他の病気の人に、お前はその病気のせいで脳が萎縮していると言い放ったら、おそらく発言主の社会的な生命は終わります。それくらい酷いことだと思います。

なのに、アル中やアルコール依存症だけが、今現在、そのようなヘイト対象になったりします。

もちろんアルコール依存症になるのは自己責任だから、という考え方もあると思います。ただしこのブログでも書きつらねてきたように、真面目な人ほど酒に依存するという側面は確かにあるのです(参考「物事に真面目に対処しようとすればするほど、酒にとらえられてしまう罠」)。

いつぞや、多重債務者とアルコール依存とどっちが社会的に終わっているかという話を書きました(参考「アルコール依存と多重債務、どっちがよりヤバいか?」)。

個人的な経験として、私は多重債務者からたびたび「お前はアル中だ、脳が委縮している」と言われていましたが、でもやっぱり「そう言うあんただって多重債務者やろ~」とはなかなか言いにくいわけです。なんとなくヘイトぽい気がするからです。

そう考えると、多重債務者に対するヘイトよりもアル中、アルコール依存症に対するヘイトの方がハードルが低いのです。世の中的には、たぶん。多重債務だって、事業が上手くいかず仕方なく、とか、リストラに遭って、みたいな人ももちろんいるでしょうけど、キャバクラ通いが嵩じて、という人だって当然のようにいる。自己責任です。でも指摘できない。同じ自己責任でもアル中は指摘される。

何度も言いますが、こんな理不尽な話はないと思います。ですからやっぱり過飲酒習慣は損ですね。どう考えても。

理不尽に遭いたくなければ、酒やめるしかない!?

実際、私なども結構仕事の妨害をされたというか、不利益を被ったと思います。あいつは脳がアル中で脳が萎縮しているから仕事のパフォーマンスが低下しているみたいなことを言いふらされましたから。たぶん、事実なのでしょう。

でも繰り返しますが、アルコール依存症を病気だと捉えれば、これは完全にヘイトです。

病気なのにヘイトされる。今の世の中、こんなことが放置されているのはアルコール依存症だけなのではないでしょうか。そして当然ながら、これは酒をやめることで治癒できます。簡単じゃないと言いますが、どうなんでしょう。私も偉そうなことを言えた立場ではないし、3年半程度の断酒でこんなことを言うのもナンなのかもしれませんが、案外簡単なのかなあとも思ったりもします。

で、その「簡単」の核心はここまで書き連ねてきたように、冷静に考えれば、酒飲むと、大量飲酒の習慣があると、「社会的に理不尽な目に遭いすぎる」ということですよね。

そして昨日も書きましたが、「酒飲む→脳が委縮する」が社会的な常識になると、その理不尽はますます拡大し、社会生活を圧迫するでしょう。

酒やめてよかったです。もう理不尽な目には遭いたくないですから。

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