自称適正飲酒者の自己評価の高さには辟易としますが、ちゃんと理由があるのですね。

酒やめて、2292日

「しょうがねえから酒飲むか」ですと!

「ソーシャルドリンカー」という言葉というか実態があるそうで、私は最近知ったのですが、要は「社交のために飲む人」ですね。

このブログでも度々登場させている「自称適正飲酒者」とほぼ同じ存在だと考えても良さそうです。自称適正飲酒者も、だって付き合いがあるから飲まなきゃしょうがねえだろ~とかよく言ってますから。つまり彼らの裡では、飲むのが従で、人付き合いが主なのです。酒はあくまでも添え物で「しかもしょうがねえから」というエクスキューズとともに飲むものです。しつこいようですが、あくまでも彼らとしては、です。

まあ私のような者が自称適正飲酒者についてあれこれ言っても始まらないし、好きに飲んでくださればいいのですが、あちらがわりにこちらに対してちょっかいを出してくる、すなわち自己防衛のためか「俺は、仕事もきちんとしているし飲んでもいい人間だ(お前はもう飲めないけれど)」と無駄なアピールをしてくるので、このようなところで反撃(?)しているわけです(陰険)。

さて、自称適正飲酒者≒ソーシャルドリンカーの対極にある言葉というか実態として「コーピングドリンカー」があるそうです。これはまさしくアル中時代の私がそうでした。人生辛いから酒を飲む。飲まずにはいられない。これが「コーピングドリンカー」です。

しかし私とて、ソーシャルドリンカーぽいというか、「しょーがねーから」飲んでる時代はあったと思います。大学生の頃は、サークルで飲まされるからしょうがねえというスタンスでしたし。それがだんだんと「飲まなきゃいられない」になるわけです(参考「「毎日飲んでりゃ……」の持つ重大な意味を、40年後に知った愚か者がいますよ」)。

そう考えるとソーシャルドリンカーだってアル中に進化する(?)危険をはらんでいるというのは一つあるでしょう。自称適正飲酒者は気づいていないようですが。ただし、今回言いたいのはそこではありません。

酒さんは人格を魔改造しますよ

自称適正飲酒者の特徴として、たとえば仕事上でも自己評価が非常に高いことが挙げられます。いやこれねー、ほんとに辟易としてしまうんですよ。俺って〇〇だろ、みたいなことを公言していますから。実態がどうであれ。

そしてこのように自己評価が高いのには理由があると私は踏んでいます。余計なお世話ながら。

これもいつも書いていて恐縮ですが、お前は飲んでいい人間だお前は特別だ、と酒さんにささやかれて飲まされているので、それ以外の部分でも「俺は特別だ何しろ酒飲んでもいいのだから、〇〇(←たとえば私のこと)と違って」という思考に陥り、自己評価が高くなると私は考えます。そういう人、何人か知っていますし。

これまたいつも書いていて恐縮ですが、このように酒さんは人格を魔改造しますよ。そして人間の品性というものを毀損していきます。この辺がやっぱり酒の一番怖いところだと、もともと人格が低俗な私でさえ自戒する次第でございます(←自称適正飲酒者と異なり、自己評価は高くないw)。

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