アル中は、酒の歴史とともにあったのか否か。

酒やめて、1962日。

wheat

余剰作物が酒になったのだった

ロシアのウクライナ侵攻で、世界的に穀物不足なのだそうです。何しろウクライナとロシアで合わせて世界の小麦の生産の三割を占めているのだとか。そして小麦は、きわめて生産性が高い穀物です。だからこそ、ウクライナ・ロシア広しといえども、そのなかでチェルノーゼム(という今回の侵攻で有名になった名前を有する)一帯(だけ)で世界の多くの需要を支え、ひとたび戦禍に陥ると大きな影響を与えるのでしょう。

そしてこの麦という穀物を発見し、栽培方法を確立したことが人類の飛躍に結びついたという説もあるそうです。生産性が高いからこそ余分につくることができ、その結果、暇というものが生まれ、労働以外のこと、たとえばお勉強ができたということですよね。暇という意味の「スコーレ」が「スクール」の語源になったのは有名な話ですし。つまり穀物の備蓄が知の蓄積に転じたということであります。

そのようにアカデミックなことに取り組む一方、穀物の生産量が消費量を上回るようになると人類は何をしたかというと、そう、酒造ですよね。むろん酒は楽しみという側面だけではなくて、アルコール分を介した飲料の備蓄という側面もあったのでしょう。そこのところは、穀物じゃないけれども葡萄酒がやはり顕著ですよね。葡萄ジュースだと備蓄はできないけれども葡萄酒だとできるというわけです。それがイエス様の「私の血である」という言葉と結びついて、ま、要は飲んでいいでえになったのではないでしょうか。神公認で。

いずれにしても酒は余剰作物でつくるものだったのですよ。ですからもちろん贅沢品です。なので人類の歴史の中でとことん飲めたかというと、そりゃ飲んだ人もいるかも知れませんけれども、やっぱり王族などレアケースではなかったのでしょうか。

贅沢品じゃないアルコール出現の意味するところとは

じゃあいつから一般人でも「とことん」飲めた、つまりアル中の歴史が始まったかというと、やっぱり「ジン」「ウォトカ」だと思うのです。「ジン横丁」と「ビール街」についての話はこのブログでは何度もしてますけれども(たとえば参考「ストロングゼロが亡国の飲み物であるというこれだけの理由」)、ビールというものは(余剰)穀物からつくる、いわば贅沢品だった。ところがジンは、原料は穀物ですが、ただいろんな穀物(雑穀)を原料にでき、なおかつ蒸留酒で非常に高いアルコール分とすることができる。これにいろんな香料を加えればするっと飲めるわけですよね。ここがある種の転換点になった、アル中の歴史の始まりではないかと考えてしまうわけです。

そしてその究極と言っていい存在がストロングゼロなのでしょう。そしてストロングゼロは、ジンやウォトカなどにお化粧した飲料としては人類史上最高に美味い……かどうかはわかりませんが(アル中大先輩でドライジン大好きなチャーチルさんなどは「んなもん飲めるかいっ」と言いそうですし)、飲みやすくアル中になりやすい酒かもしれません。そして今の日本の状況と相まってそれを飲むことが唯一の楽しみだという人が増え、「福祉」になっている。これって、「余剰穀物でつくった贅沢品としての酒→ジン、ウォトカというきわめてアルコールコスパの高い酒の発明とアル中の歴史の始まり」という発展(?)を考えた時、ついに行きつくところまで行きついた、しかもこの日本で、となるのですよ。これって案外大きな意味を持つんじゃないかなあ、と。余計なお世話ながら。

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