「小人に自由を与えてはいかん」と言うけれども、「自由」の最大の使い道の酒がなくなった場合、小人でも有意義なことができるんじゃないかという仮説。

酒やめて、1446日。

自己裁量の時間をどう使う!?

今回のコロナ禍で、自己裁量の時間が増えたと感じている方も多いのではないでしょうか。今までは仕事に行って帰って、酒を飲む人は飲んでゆっくりして、という生活リズムがあったところ、在宅勤務などだと自分で考えて組み立てなければいけない部分もありますよね。

私は勤め人じゃないのでよく分かりませんが、会社員の人間に訊くと、しっかり拘束されて出勤と変わらないよなんていう声もあります。ただやっぱり「行って帰って」というルーティーンが崩れたのは事実でしょう。

私は定収入皆無のフリーランスという身分なので、コロナ前から自由といえば自由なのですが、やはり打ち合わせや外に出て人と会う機会がかなり減り、また仕事そのものも少なくなったことで、「どうしても〇〇しなければいけない」という時間が最小限となり、自分の裁量で時間を使えるようになった……というと聞こえはいいですが、まあいろいろ危ない意味で自由です(苦笑)。

で、やっぱり考えてしまいますよ。こういうとき、もし酒飲んでたらって(笑)。

個人的なことを言えば、今は子どもの学費負担も事務所経費もなくなったので、それほど稼がなくてもいいという事情があり、だからこそ、飲酒習慣があれば当然のように酒飲んでたでしょうねー。仕事がなければ朝からでも昼からでも。そして朝から飲める店昼から飲める店に行くのも憚られるので、宅飲みになります。今の日本はおそろしいほど安く飲めるので、廃人への道をひた走っていたでしょう(参考「とにかく日本は酒が安すぎるんだよ、という件」)。

しかし酒やめてもうすぐ4年だというのに、そういうことを夢想すると甘美な心持ちになるから、やっぱり酒というものはタチが悪いです。

酒なしの自由な時間がやって来た!

私のような人間の話はともかく、冒頭に書いたように、コロナ禍のもと、すべての人が自己裁量の時間を多く持つようになっていると思います。

時間を切り売りしてお金を稼ぐというのが、極端な話、18世紀の(第二次)囲い込み運動からこっちの一般労働者の生き方だったと言っていいかもしれませんが、それもだんだん崩れていってますよね。以前からそうだったのが、コロナで加速がついたかたちです。すべての人が起業家意識を持って、パラレルキャリアということも含めて、時間を売ってお金を稼ぐという概念から脱しなければならない時代と言えるかもしれません。

と、話が大げさになってしまいましたが、「自己裁量の時間」という概念から考えると、やっぱり酒は邪魔です。これもいつも書いていて大変恐縮なのですが、ほんとに酒飲まないといろんなことができますよ。それはお金を稼げることじゃないかもしれないけれども、そして将来に結びつかないかもしれないけども、とりあえずやっていればなんとなく人生を好転させるきっかけになるようなことです。

逆に言うとこういう時に大量飲酒習慣があると、まあとんでもないことになっていくのは容易に想像できます。

再び自分自身のことになっちゃいますが、会社員だった時代は、朝から飲むなんてことはなかったし、昼に飲むなんてこともときどきしかなかったし、とりあえずメリハリがついていました。その代わりと言ってはナンですが、仕事をしている時間以外は全部飲んでました。だから会社にいる時間しか仕事ができなかったのですね。

フリーランスになってからは朝から飲める一方で24時間を自分で使えるようになって、そのせっかくの大切な時間を使って将来に対して布石を打つべきだったのに、まあホントにことごとく酒で無駄にしてきたと思います。小人に自由を与えるなというけれども、まったくその通りですよ。

自分の人生において第二の変革期を今コロナとともに迎えているわけですが、今回は「自由=自己裁量の時間」はあるけれども酒はない。つまり私のような小人が自由を使う最大のターゲット(?)がないのですね。だから小人でも有意義なことができるのではないか、と。

ウィズコロナはウィズアウト酒でいきたいのです。

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