アルコール依存症における「周囲の人の理解」問題を考えてみる。

酒やめて、1361日。

まんきつさんの対談記事に違和感!?

今、発売中の『週刊SPA!』に、アル中→断酒大先輩のまんきつさん(旧・まんしゅうきつこさん)とソーシャルワーカーである斉藤章佳氏の対談(「[アル中はだらしない]の誤解」)が載っていました。そして結論はといえば、アル中は誤解されている部分が多い、周囲の理解が大切という至極穏当なものになっていました。実はそれについて若干の違和感を覚えたので、以下書いてみたいと思います。

まんきつさんについては、私は大ファンで、その著作である『アル中ワンダーランド』はアル中(→断酒者)のための三大聖書の一つだと思っております (参考「壇蜜さんのお相手とアル中の意外な関係とは?」)。またアル中がテーマではありませんが『ハルモヤさん』もめちゃおもしろいです。

で、常々アルコール依存症やアル中についてご自身の体験を交えて鋭い指摘をされ、「そうそう」「んだんだ」と我々をうならせているまんきつさんですが、今回の対談については、わりに穏当なものになっていたことが「?」だったのです。

もちろん編集もあるのでしょう。しかし何しろアル中アイドルとしてのまんきつさんをプロデュースした(?)あの『週刊SPA!』のことですから、無理くり穏当な着地点を見つけるようなことはしないと思いますので、「周囲の理解が大切」は真実なのかもしれません。

で、ここまで書いて気づいたのですが、これは「周囲」に向けての記事でしたね。当事者である、アル中→断酒者が読んでも「?」になるわけだわ(苦笑)。でも、それでもあえて言わせていただければ、「周囲の理解」って本当に必要なものなんか、そもそも周囲は理解しやさしくしてくれる(まんしゅうさんの弟さんのごとく!)ものなんか、という疑問(?)は残ってしまいます。

あと、厳密に言えばa「アル中(アルコール依存症)に対する周囲の理解」とb「アル中で断酒しようとしている人への周囲の理解」は違うし、もっと言えば、bでも「周囲がやめさせたい人」と「自分でやめようとしている人」は違うけれども、その辺は「こまけえことはいいんだよ」で稿を進めます。

で、私の個人的な経験で言えば、「周囲の理解」などまったくありませんでしたし、必要もなかったように思います。

私の断酒に際しての「周囲」の特殊性といえば、

①断酒友がいたこと

②お前はアル中だと、ことあるごとに指摘してくる自称適正飲酒者がいたこと

の二点になると思います。

家族について言えば、酒やめたことについて、父親はなんだ飲まないのかと明らかに鼻白んでいましたし、義理の弟などは、まま、お父さんもそう言ってることですし少しならなどと言う始末でした。一般的な反応ではないでしょうか。それに、酒をやめたことで離れていた友人もいましたしね。

「周囲」とはネット上の情報なのだ!

私にとっての有意な「周囲」は、①を除けば、主にネット上のものでした。ブログやTwitterなどですね。そして重要なのはこのネット上の「周囲」は、何の利害関係もない人たちということです。

というのはですね、周囲の理解が大事とは言いますけれども、オフラインの世界では、それを恣意的に利用されるケースも多々あるということです。このブログでも度々書いてますけれども、たとえば、あいつはアル中だから仕事ができない、とか、あのミスは酒飲み過ぎているせいだみたいなことを言いふらされるケースもあり、そこが怖いところなんですね。

オフラインの「周囲」には利害関係があり、そこにいわば変数としてアル中やアルコール依存症というものが利用されることもあるのですね。もちろん家族だって、自分の生活を脅かされたくないといったような利害関係はあるでしょう。

ですから、周囲の人々の理解というものが大事と言われても、この対談は周囲の人に向けて発信しているようなのでそれはそれで正論なのでしょうが、アル中→断酒の当事者としては、うーんと考え込む次第であります。

では、断酒志願者として「周囲」に何を期待し何を利用すればいいかといえば、利害関係のない人の情報ですよね。ネット上にあふれる断酒に関する多くの情報から、自分に都合の良い情報だけを取捨選択しそれを信じれば良いというふうに思ったりもします。それが私にとっては非常に効果的でした。

だからといってこのブログを読んでくださいというわけでもないのですが(笑)。

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