「飲んでる人を横目に」は、わりに強力な断酒モチベーションになるという話。

酒やめて、1646日。

もう会ってどうのという時代じゃないでしょ

第4回の緊急事態宣言に伴う飲食店の時短や酒類提供自粛で、またぞろ路上飲み公園飲みが話題というか糾弾の対象のようになっています。

その一方で、ワクチンを打った人たちは、もう飲んでもいいんだあああ状態に突入しており、こちらもなんだかなあ、な状態ではあります。さらに都県境をまたいでの移動の自粛といいますけれど、ワクチン打った人は、それももう関係ないもんねええええです。私の周りでは。私は「まだ」なので、行動の自由が著しく制約されており、ストレスも溜まります。

とまあそうした諸々が混在して、酒ディストピアが多様化深度化しているということでしょうか。

ただ、若者の路上飲みガーなどといいますが、感染の一番のベースにあるのは、「やっぱりここは一番会ってみなきゃわからんやろ」という旧態なメンタリティでしょう。会ったら何とかなる感情とでも申しましょうか。

韓国の文大統領が五輪をきっかけに菅首相にやたら会いたがっていたのと同じメンタリティですね。胸襟を開いて話せば、あるいは韓国大統領の場合、親韓議員を抱き込んで寝技に持ち込めばという下心はあったのかもしれませんが、そういうふうなパーソナリティに依存したコミニケーションでなんとかなる時代じゃないでしょう。もはや。

そして、それに酒が付随しています。旧弊なメンタリティが酒を通じてコロナを拡散させていると言ってもいいと思いますねー。

どうぞご自由に、飲んでくださいよ

ともあれ最近、FIREすなわち財政的に自立してとっととリタイアしようムーヴメントが話題になっていますし、こうしたことに代表されるように、日本の社会構造が変わってきているのにまだ酒飲んでるの? てな気もしないではないです。いや、強くします(笑)。

もちろん人それぞれですからなんということはないのですが、ただ、こと断酒ということを考えたとき、「飲んでる人を横目に」を自分のモチベーションに転換するのは割と重要なポイントなのではないのかなあとも思います。

以前、「断酒モチベーションは「玉杯」のなかにあった!」という話を書いています。一高生(今の東大の教養課程の学生)が、飲んで浮かれてる人たちを横目にがっつり勉強しているということですね。それはおそらくお国のために、だったと思います。でも今は自分のために、です。その象徴がFIREてことになるのではとも考える次第です。

FIREについてはいずれ書きたいのですが、要は、社会構造が大きく変わり終身雇用制も崩れ一生安泰の生き方なんてできないというふうになっています。自分でなんとかしようよ、の世の中にいよいよ突入します。そんなときに飲んでいていいの皆さんという感じですよね。

いや、まったく余計なお世話ですよ。ただ、そうした気持ちを持つのは自由だし、それを断酒モチベーションにしてなんら愧じることはないでしょう。そして「何か」をすればいいんですよ。

繰り返します。

飲んでればいいやん(冷笑)。

これですねー! ワタクシの性格の悪さが顕わになっとりますが(苦笑)。

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