酒やめて、1958日。
酒やめて性格悪くなった!?
一昨日、「酒飲むと怒りっぽくなるのは、酒さんの罠です」という話を書かせていただきました。酒を飲む習慣があると次第に怒りっぽい人格となり、その人格がさらに酒を飲ませるという負のマッチポンプができあがります。そしてそれこそ、酒さんの思うつぼです。
では酒をやめるとどうなるかといえば、自分の中から怒りというものが消える……といったような気がします。実際のところ私も、やめて半年位経って以降は、おそらく怒ったことはないです。だから5年弱ですね。
これは、心の中に怒りが湧いてきたことがないということです。行為としての「怒った」ならあります。でもそれは対人戦略としてのもので、怒りに任せて怒るということはまったくなくなりました。
それにしても対人関係の戦略上怒るというのはいかにも性格悪い行為ですが、確かに良い悪いでいえば、酒やめて性格悪くなったと思います。飲んでいた時代の方がお人好しだったわけです。でも、お人好しだからこそ「怒る」という側面はあります。
「怒り」は非常にプリミティブな感情であり、イヌの脳、ワニの脳がそうさせるわけですよね。酔っぱらいがどんなに酔っていても家には帰って来れるのも、イヌの脳がなせる業です(参考「そこの飲んだくれの方、「それでも家に帰れている」はエビデンスになりませんよ!」)。
じゃあイヌと人間とどっちがお人好しかといえば、そりゃイヌなわけで、だから飲酒習慣があり怒りに任せて怒る人のほうがお人好しであるという理屈が成立する……と思います。
でも同時にそれは、原始的ということでもあります。
断酒者的身勝手で規定するところの、酒飲む人=ネアンデルタール、酒飲まない人=進化したホモサピエンスにもよってもそうです。
ただですねー、残念なことに酒で委縮した脳は、酒やめても委縮の進行がとまるだけで元には戻らないらしいのですね。このあたりは、肝機能が(肝硬変までいってなければ)復活するのとは違います。残念です。もっと早くやめればよかったとつくづく思いますわ。
他人に期待しないから怒る必要もない
ではなぜ、そんな委縮してしまった脳なのに「怒り」が湧いてこないのか。それはやはり「心映え」の問題になると思います。
酒やめると、断酒をしている、断酒を続けているという事実が圧倒的な自己肯定感をもたらしてくれます。私のように、それまでの人生において成功体験がきわめて少なかった人間はとくに、です(参考「セルフエスティームをアップさせるための、一番簡単な方法」)。
自己肯定感がアップすると、当然ながら自分軸で生きられる。つまり自分に対する他人のネガティブな影響というものがなくなるので、怒らないで済むのです。
いや、そんなかっこいいもんじゃないですが、基本線としてはそういうことが言えると思います。
そしてそれと表裏一体のものとして他人にまったく期待しなくなる(その分、自分には期待する)ので(参考「他人に期待するな。でも自分には期待しろ」)、期待しない以上、対人で怒る理由もなくなるのです。それでもなんか言ってくる人間は、あーネアンデルタールちゃんがなんかゆーとる、と蔑めばいいだけですから。そうした進化したホモサピエンスとしての謎の上から目線を持っていることも、怒る必要がない理由になります。
ま、なんにせよ、怒るのもエネルギーが必要ですから、何事も「上から」(←ここ重要)スルーしていけばいいんですよ。
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