例の香川照之さん問題を、「人類の分化」という視点で捉えてみると。

酒やめて、2040日。

ogre

仕事も女も酒も、という価値観

香川照之さんのセクハラ&暴行事件が波紋を呼んでいます(参照「セクハラだけじゃない。香川照之がTBSドラマ懇親会で女性スタッフに暴行疑惑」)。この事件については飲酒との絡みもあり、私も興味があります。むろんいろんな人がいろんな見解を述べているので今さら私のような者が何をかいわんや、の感もあるのですが、ただPVアップというあざとい色気込みで、ちょっと考えるところを書いてみたいと思います(汗)。

それにしても印象的だったのは、香川さんがセクハラに際して「俺もいっぱいいっぱいなんだよ」(前掲記事)と言ったということです。そして、後に新潮が取り上げ掲載した写真はまさに修羅の形相でした。

つまり、修羅ぽく生きてたわけですよね。仕事も目一杯やる、そして女性も酒も、ということなのです。そうすると当然、振り幅の大きな人生になる。そして悪い方向に最大限に「振れた」のが今回の一件ということになるのでしょう。

でもって、そのような生き方は、私などの世代も含めて、これまで多くの男性がしてきたものだったとも言えます。だからこそ、ひろゆきさんなどから擁護(?)の意見が出てくるものと思われます。

また余談ながら、今回の一件で、酒が本人の(隠れていた)本性を暴くなんてことも言われていますが、そうではなくて、酒が主体的に人格を魔改造するということはいつも書かせていただいている通りです。したがって、こうした事件で何か一言気の利いたことを言いたくて仕方ない芸能人などがよく言う「酒は悪ないで」は間違いです。「酒は(主体的に)悪い」のです。

ゆるーく「解脱」して生きることも可能になっているのだ!

さて繰り返しますが、香川さんに代表される前時代的な振り幅の大きな人生は、ある意味、多くの男性が歩んできたと思われます。それで社会的に成功した人もいれば成功しなかった人もいる。成功せずに貧困なのに、メンタリティだけはそのままという人間も最近は多いです。断酒友がブログに書いていますけど(参照「おっさんが嫌い(おっさんだけどw)」)、スーパーでポテサラを買う主婦にケチをつけたりする老害になるということですね。表面に現われた事象は「香川ケース」とずいぶん違うけど、根っこは同じです。

そして今の若者の一部は、そのような「修羅」なるメンタリティから脱して、ゆるーく淡々と坦々と生きているわけですよ。社会状況もそれを可能としています。まさに「解脱」です。でもってジジイであっても、断酒するということは「修羅」→「解脱」になるのでは、と言いたいのであります。

いつも書いてますが、人類は飲酒行為を媒介として(むろん媒介になるのは酒だけじゃないけど)分化している。その一方の極を、今回の「香川ケース」で見せられた気もしたのでした。

どちらが良い悪いということではないのですが(セクハラ&暴力は悪いけど)。まあ修羅的にいっぱいいっぱいよりも、解脱してゆるーく生きたほうが、人生イージーモードだとは思いますわ。

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