飲酒形態の二極化が意味するところは何か。

酒やめて、1269日。

酒離れの「正体」とは?

若者の酒離れが進んでいるといいます。いや、若者に限らず、「国民健康調査」とやらによると、2017年時点で10年前に比べて、男性の場合、「毎日飲む」は32.6%→28.1%、「ほとんど飲まない」は26.8%→35.6%となっています。うーんこの数字をどう考えるか、ですね(笑)。

ところで年収600万以上の人だけを抽出すると、飲酒率はほとんど変わってないそうで、つまりお金がないから飲めなくなってると分析されています。世の中の貧困化が酒を飲むことを阻止している、そういう捉え方もあるようです。

では、年収600万以上の人がどのような飲み方をしているかというと、それは「ビール街」飲みになるのかもしれません。「ビール街」と「ジン横丁」については以前も述べさせていただきました(参考「ストロングゼロが亡国の飲み物であるというこれだけの理由」)。「ビール街」飲みは人生を豊かにするために飲む、社交のために飲むということですね。そしてそれは、新たな仕事や収入を呼び込んでくれるのでしょう。

ちなみに高所得者が好むワインは非常に税率が安いそうで、その意味でも金持ち優遇なのかもしれません。もちろんワインについての知識は「教養」ですから、今後、グローバルとやらの社会で活躍していく上で、あるいは不可欠なのかもしれません。私は個人的には、日本の偏差値秀才は、ワインについての広範かつ深遠な知識を身に付けるのも得意だと思っています(参考「人類史上たぶん一度だけ、酒とお勉強が交差した時代があったという話」)。

さてその一方で貧困を背景に酒離れが進んでいるというけれど、ではそれでも飲みたい人はどうするかといえば宅飲みになるわけですよ。そして、その象徴がストロングゼロです。

で、今回コロナ禍で、宅飲みあるいはオンライン飲みの危険性が指摘されるに至っています。いわく、自宅だと際限なくいつまでも飲んでしまうので、アル中、アルコール依存症に陥る危険があるとのことです。

非生産的な宅飲みもいいけれど……

でもねえー、今は断酒者から見ても、宅飲みに最適化した社会環境があると思いますよ。まず非常に安価な高アルコールRTD飲料があるということ、そしてコンテンツが手に入りやすいということですよね。Wi-Fi環境さえあれば、映像・音楽コンテンツが安価に享受し放題です。また当然のことながらゲームもあります。

さらに、酒を飲むとわりにコンテンツ消費が簡単というかコンテンツに対する審美眼が下がりますので、まあどんなものでも楽しめちゃいます。酒と低クオリティのコンテンツ(テレビなど)は相性が良いと言えますよね(参考「断酒して、コンテンツに対する考え方が変わったという話」)。

一方、酒を飲んでいたらできないのは生産的なことです。酒飲んで閃きを得る人もいるでしょうけれども、その「効力」が発揮される期間はほんとに短いと思います。まんしゅうきつこさんのような才能がある方でも、酒やめて逆に原稿のクオリティが上がったと言ってますもんね。

だから結局、どっちを選ぶかですよ。酒飲みながらコンテンツを消費するのも楽しいっちゃ楽しいです。それはすごくよくわかります。

私もイチローのビデオを観たり信長の野望をやったりしながら延々と飲んでいました。ストゼロじゃなく、ストゼロで割ったキンミヤを。

ちなみにイチローの試合や信長の野望は、コンテンツとして非常にレベルが高いものであるけれども、「結果がわかっていて観る」あるいは「経営コマンドの繰り返し」は、低クオリティコンテンツに分類してもいいと思います。酒飲みながらじゃないと消費できない類のものです。

それはともかく、今は酒飲まないんで、まあ生産的ないろいろできるわけです。もうジジイですから将来に対する布石とかそういうことでもないんですが、逆にジジイだからこそ、非生産的に酒飲んでいると人生がともったいないという気分がしています。

生産的なことが将来の布石になる若い世代ならなおのこと飲まないで何かを始め、そして高収入を得て、飲むんなら「ビール街」飲み、というのも一つの選択ではないかなと思ったりもします。

断酒者として余計なお世話ながら。

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