飲酒時代に背負っていた荷物は、もう再び担ぐ気にはなれません。

酒やめて、1744日。

飲酒生活とは、重き荷物を背負って山を登るようなもの?

伊丹十三さんのエッセイの中に「結婚の重さ」について記したものがあります。今、探し出せないのでうろ覚えで書きますけれども、重い荷物を背負って山に登り頂上に着いてその荷物をおろすと、身体がチリチリと宙に浮くような不思議な感覚にとらわれるというのですね。そして伊丹さんはこれを、結婚→離婚に喩えています。離婚したときに同じような感覚――身体が浮き上がってしまう感覚を覚えた、と。結婚生活が、そのときは意識しなかったけれども、背負った重い荷物のようなものだったわけです。

いやーこれ、私などにもとてもよくわかるのですよ。結婚生活ではなく飲酒生活について、ですが。つまり酒をやめたとき、正確に言えばそれからしばらく経ったときに、まさに身体が宙に浮くような感覚があり、それは今でも続いています。独特の解放感です。

酒を飲んでいた生活というものは、やはり重い荷物を背負って山を登るがごときだったように思います。

どういうことかといえば、酒を飲むにあたって、精神的、物理的あるいは経済的なマネジメントをするのがまさに「重き荷物」だったのです。

精神的には、酒を飲む自分というところの者を、どう理論武装していくか、ということですね。要は「そんなに飲んでいかんやろ~」と言われたときの自分の正当化……有り体にいうと言い訳を、意識しているわけじゃないけれど、頭のどこかでは考えている……。それがなんというか心の荷物になっているということです。

まあ、今でも周囲にはいますよ。「俺は飲める( ー`дー´)キリッ」をことさらにアピールする人が。そうしたときに思うのは、あーこの人は「重き荷物」を背負っているんだなあ、ということです(笑)。

物理的マネジメントもそうです。酒を飲みに行くと、当然酔っぱらいますので、そうしたなかでどうやって帰るのか、とか、終電がなくなったらどうするのか、ということを、頭のどこかに入れておかなければならない。また当然ながら経済的な問題もあります。酒を常飲していると、どこかでそのツケが来ます。だから子どもの学費をきちんと払ったり、カードキャッシングの類をしなかったり、などなど、その部分とどういうふうに折り合っていくかとを考え実践するのも、重き荷物を背負うがごとく疲れます(今こう書いてみると実に馬鹿馬鹿しいことですが。飲まなきゃいいだけですよね)。

その荷物を思うことは、少なくとも断酒を続けるモチベーションにはなる!

ともあれ、そういうふうな荷物を背負いながら酒を飲んでたわけです。それだけの魅力があったともいえます。ただ、飲んでいるとき、飲んでいる生活をしているときはそんなことは意識しないのです。荷物を降ろしてから、荷物が重かったということ気づいた次第です。

酒を飲んでいるときに、その荷物の重さを意識しろったってそれは無理なことで、私の経験上も明らかです。ただし、いったん酒をやめてしまえば(たとえそれが短期間であっても)、その荷物の重さを意識することは、断酒を続けるモチベーションになるとは思います。

実は冒頭にあげた伊丹さんのエッセイですが、でもその荷物もう一度担ぎたいんじゃないのかいと自分に問うています。その結果、伊丹さんは再婚したわけですが、結婚の場合はそういうこともあるのかもしれません。ただ酒の場合は、そして私の場合は、飲酒習慣(に伴う諸々)という荷物はもう二度と背負いたくないです。

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