酒やめて、まる5年。あれだけ好きなお酒をやめたんだから、後は好きなことしてもよかろーもん(←これ)。

酒やめて、1826日。

5年前は、病院から帰ったら「飲もう!」と考えていたのだった!

驚くべきことに本日、2月3日で、酒やめてまるまる5年になりました。ちょうど5年前の2月4日から酒を飲まない生活を始めたのです。このブログでもたびたび書いていて恐縮ですが、その日、アルコール性低血糖で倒れました。病院でいろいろ検査を受け、さらにはその結果γ-GTPが異常な値を示しているのが判明し、医者に説教をくらい、なおかつ入院を勧められている間中、それでも入院をなんとか断り帰ったら飲もうと計画(?)していたのでした。

ただ、ふと、教育入院しようと考えてるんだよお、などと以前言っていた飲み友のことを思い出し電話してみると、いやあ実は俺、一カ月前ほどから酒やめてるんだよお、教育入院はしてないけど、ということを聞き、よーしそれなら俺も! という、まったく他力本願的(?)に始めた断酒なのでした。それが5年前ですね。

それから5年間、とくにはじめの2年ほどはいろんなことがありました。しかし、ここ数年はきわめて心穏やかに、母が亡くなったときも粛々と受け入れられたと思います。

で、今思うのは、もう完全に「飲まない」を前提に人生が出来上がってるということです。と、このように書いてしまうと、なんというかあまりにも平坦で綺麗事で、自分の文章力のなさに驚くばかりですが、まあそうなのだから仕方ありません。

これは私事ではあるのですが、このことも含めて、酒をやめた人、あるいはやめようとする人に起こるであろう、共通項だと考えられる「思い」がありますので、それについて書いてみたいと思います。アル中・アル依→断酒者の心理は、大先輩の小田嶋隆先生によれば「神秘的なほど」共通しているらしいのです。

さて、酒やめて5年経っての「思い」はといえば、酒飲むこと以外のいろんなことができるようになったなあ、ということであり、そこから発展して(?)、酒飲んでないんだから好きなことやったってよかろうもんということです。

つまり、あれだけ好きなお酒をやめたんだからそれ以外のたいていのことは許そうと自分で自分を甘やかし、そしてそのたいていのことがあまりにも多岐に渡り充実しているので、酒を飲む、そのただ一点とは到底トレードできないといったのが正直なところです。綺麗事のようですがマジであります。

人生に対する後ろめたさがなくなったのだった!

我々って子どもの時分から、たとえば母親から「勉強もしないで漫画ばっかり読んで!」――今の子なら「ゲームばっかりやって!」ということになるんでしょうが、その手のことを言われ続けてきたわけですよね(たぶん)。逆に言えば、漫画を読んでもいい状況で漫画を読んでいる時も、なんとなく後ろめたさがあったのですよ。少なくとも私の場合は。

そうした人間が社会人になって酒を飲んでいると、ちゃんと仕事をしているつもりでも「酒ばかり飲んでマトモに仕事もしないで」とどこからか指摘されそうな気がして、つまり子どもの頃の「漫画ばかり読んでマトモに勉強もしないで」の後ろめたさをずっと引きずって生きる…と言うと大げさかもしれないですけれども、そういう感があったのですね。そうした声がずーっと聞こえていたわけです。

でもって酒やめると、そういうものがまったく聞こえなくなったんです。あれだけ好きで依存していた酒をやめたんだから、もうそれ以外のこと、たとえばサーフィンなどを、自分の時間と自分のお金と自分のエネルギーを使ってやろうとまったく自由だあああああ!という開放感といいますか、そうしたものがめちゃあるのですよ。

そして、適正飲酒者というか普通に飲んでいる人、あるいは最初から飲まない人は、こういう感覚がないのでは、と思うのです。とすれば、自分で好きで飲んで、いろんなものを犠牲にして、いろんな人に迷惑かけたのにも関わらず、あれだけ好きなだった酒の「代償」として「好きなことしてもよかろーもん」が得られているのは、かなりの断酒者特権ではないかと考える次第です。身勝手ながら。

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