酒やめると、メンタル損傷マターを上手に避けられるという話。

酒やめて、1254日。

断酒はメンタルの強さじゃない、断じて

よく断酒は意思の強さ、メンタルの強さが必要などと言います。これは、断酒業界(?)では疑われていることなのですが、一般的にはそのように認識されています。私などもよく言われますもんね、お前みたいにメンタル弱いヤツがなぜそんなに続いてるんだ本当は隠れて飲んでるんじゃねーの、みたいなことを。

ただ、これは大きな認識違いで、メンタル弱いからこそ続いてるというふうにも言えるのです。以前もそんなことを書かせていただきました(参考「メンタル弱い人ほど断酒に成功するという超理論が発見されたぞ!」)。今回、それをちょっと深掘りしてみたいと思います。例によって謎理論かもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。

今、世の中では結構、パラダイムシフトみたいなことが起こっていますよね。たとえば勉強でいえば、もうドリル的なものはAI学習で効率よく済ませ、その分より思考力を高める学びをしよう、みたいなことです。そうじゃないと、将来的にAIに取って代わられるというふうに言われてますし、まあ煽りの部分もあるかもしれませんが、一面の真実だとは思います。

で、こうしたことは、野球では昔から言われていました。たとえば何百球も投げ込んだり、うさぎ跳びで校庭一周したりするのは意味がないってやつです。いわゆる根性論の練習は、かなり以前から排されてきました。

これはやはりアメリカの影響なんでしょうね。映画『マネーボール』なんか観ると、もはや野球はIT秀才たちが自らの理論を証明するための素材でしかないというような感さえします。巨額のマネーが動く限りIT理論が持ち込まれ、『マネーボール』で示されたように選手起用法・獲得法はもちろん、練習法などもどんどん洗練されていくのでしょう。

さて断酒理論です。こっちも単にメンタルの強さだとか気合で我慢だとかそういうことじゃなく、もうちょっと洗練された理論が必要であるように思われます。

で、そんなに洗練されてるかどうか分かりませんが……というかまったく洗練されていませんが、私なりに考えてることがあるのでちょっとお話しさせていただきます。

飲めば飲むほどメンタル傷つく!?

えーとですね、いつも書いている通り、大量飲酒習慣があって飲酒脳になっていると、考え方がすべて後ろ向きになります。これはもう誰もが言っていることです。そうやって不幸ベースで生きていると、わりにメンタル損傷マターに出会いやすいということはありますよね(参考「酒飲んで不幸ベースで生きるか、酒やめて幸せベースで生きるか」)。

というよりも、たいしたことじゃなくても、いちいち傷ついてしまうことになりがちです。これは多くの過飲酒者が経験則的に感じていると思います。

この先、若干話がスピリチュアルっぽくなってしまいますが、実はですね、酒やめると、そういうメンタル損傷マターを避ける能力が備わってくるんですね。

仕事にしても日常生活にしてもあるいは対人関係にしても、なんとなくメンタル持っていかれるようなことは、それを避けようというなんというか勘が働くんですよ。これは非常に不思議です。でも結果的に気持ちよく生きていけたりします。

で、ここからが重要なのですが、メンタル弱い人間というのはメンタル損傷マターを極端に恐れますので、酒をやめたらその効果は非常にでかいということを私は言いたいのであります。そしてだからこそ、断酒が続くという新(珍)理論がここに完成いたしました。

なんだか心が折れることがいっぱいあるなあと、今現在、思っている方は、酒やめてみると本当にそういうことがなくなりますし、またなくなっているということがモチベーションにもなります。繰り返しますが、断酒は決して意思の強さではないのです。

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