断酒はインテリにしかできない所業。これって「逆も真なり」じゃね?

酒やめて、2436日

小田嶋隆大先輩の主治医の先生も言っておりました

以前、アル中→断酒大先輩である小田嶋隆さんが亡くなった頃でしょうか、「「インテリだから酒やめられる」@小田嶋隆氏の主治医←なかなかツボな理屈」といった話を小田嶋さんの著作から引用して書かせていただきました。その引用部分は以下の通りです。

先生が言うには、アルコールをやめるということは、単に我慢し続けるとか、忍耐を一生続けるとかいう話ではない。酒をやめるためには、酒に関わっていた生活を意識的に組み替えること。それは決意とか忍耐の問題ではなくて、生活のプランニングを一からすべて組み替えるということで、それは知性のない人間にはできない、と。

(小田嶋隆著『上を向いてアルコール』)

「先生」というのは、小田嶋さんの主治医である、元久里浜医療センターの田中孝雄先生ですね。その田中先生が、断酒という行為は知性のない人間にはできない、と。

あー、なんと心地よいフレーズなのでしょう。

実はそのような、いわば屈折した優越感こそ、断酒の大きなモチベーションになることはこのブログのテーマでもあり(参考「「断酒している」優越感を断酒継続のモチベーションにするという力技について」)、また私のようなそれまでの人生において成功体験に乏しい人間ほど、その優越感効果(?)は大きいと感じています(参考「成功体験が少ない人生を送ってきた人間ほど断酒がしやすいのだという謎理論、しかし真実(たぶん)」)。

そしてこの「断酒はインテリの所業」は、裏を返せば、普段、断酒者に対して「おれはキチンと飲める( -`д-´)キリッ」とマウント取ってくる輩だって――そういう輩はえてしてインテリぶってますが――酒をやめられなかったら真の意味でのインテリじゃないということです。て、強引ですが、そのように定義し、心の中で優越感を感じておこうと思います(苦笑)。

中学受験塾の先生も言っておりました

「裏を返せば」と記しましたが、上記のことはまあ冗談の域を出るものではありません。実は「断酒はインテリの所業」の「裏を返せば」にはもう一つ、真実(と、少なくとも私は感じている)がありまして、それこそタイトルであり、以下説明させていただきます。

先に挙げた小田嶋隆さんの主治医の主張(?)は、要は断酒とは生活を組み立て直すということですよね。

でもって、それはインテリであろうがなかろうが、酒をやめるとそうせざるを得ない。私のような非インテリであっても、そうなっていきます。

断酒は結構、頭を使うのです。それは飲酒時代はまったく使っていなかったアタマです。つまり生活マネジメントに関してですが、これについては飲酒時代はまったく考えたことがなかったのです。「仕事ぉ~→疲れたぁ~→酒飲むでぇ~」で。

それを考えるようになった。ということは、まあジジイになってこんなことを言うのもナンですが、その分、スキルアップした、ということですよね。

中学受験塾の先生などは、生活マネジメントができる子は勉強もできるのだと言います。それは単に勉強する時間が捻出できるだけでなく、アタマの構造がそうなっているからなのでしょう。

てことは、ですよ。断酒erにしても「生活を意識的に組み替える」ことで、優秀な中学受験生と同様のアタマの構造になることができる、というふうになるのではないでしょうか。論の帰結として。つまり「インテリ」になれる、と。

繰り返しますが、断酒すると、それまで頭を使わずに生きてきた私のような人間でも頭を使わざるを得ない。だから断酒はインテリしかできないであるとともに、断酒は非インテリをインテリへと成長させると勝手に考えています。

やっぱり断酒は、自分を自分2.0にしてくれます( ー`дー´)キリッ

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