な~んだ、自分のご機嫌を取ることなんて、酒要らずで簡単だったんや!

酒やめて、1768日。

自分の心と折り合いをつけるのに苦労するのであります!

私がTwitter上で勝手に断酒仲間認定させていただいている「はるこsober-curious」さんがまたまた素晴らしい知見を披露してくれました。これですね。

そうなんですよ。徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」ではないですけれども、人間の一生とは、いかに自分のご機嫌をとり続けるか、ということですよね、ある意味。自分の心と折り合いをつけながら生きていく、そこに苦労します。

実際問題、たとえば肥大化する自己承認要求を満たすために、SNSや電話などで暴走する方もいらっしゃいますけれども、被害を受ける(?)こちらからすれば、迷惑だなあと思う一方で大変だなあとも同情します。人間の脳は面倒くさいものであるけれども、その面倒くささの解決を外に求めると、社会的に面倒くさい人になってしまう、ということですよね。自戒も込めてそう思います。

と、話がそれてしまいましたが、要は自分のご機嫌を取らなければいけない。その究極のメソッドは、当然ながら酒を飲む、ということでございます。ただしこれには強烈な副作用がありまして、一言で言えば人生を破壊します(苦笑)。これこそ、酒でのご機嫌取りの特殊性でしょう。

たいていの人は、嫌なことを忘れるために、だとか、仕事の疲れを癒すために、だとか、そういうふうな心のご機嫌の取り方の一環として酒を飲みます。ただし飲酒行為がどんどん深化すると、そういうことではなく、「飲みたい」というただ一心の心のご機嫌を取るために飲むようになる。これが依存症と言われる状態ですよね。

このブログでも度々書いていますけれども、酒は人間の心の中にマッチポンプ状態をつくり出し、それに乗じてくる存在であります。ここが悪質なところです。ですから、こいつを心のご機嫌取りのために使うのは、当然ながら非常に危険です。

人間の脳は実は単純!?

断酒とは、自分のご機嫌を取るための代替行為を探すことにほかならなかったりします。人間の脳は高度に発達しているがゆえに、ご機嫌を取らざるを得ないのですが、それは厳然たる事実として受け入れて、飲酒以外の行為で満たすということですよね。

飲酒時代は私なども、そんなことできるかいっと思っていましたし、あるいはできたとしても、めちゃ大変だ、そのわりには効果が薄いと断じていました。ただ、実際に酒をやめてしまうと、案外大変でもなかったりします。

これもいつも書いていて恐縮ですけど、人間の脳は面倒くさい一方、よくできたもので、酒さえやめれば、ほんのちょっとしたことでもドーパミンを出してくれる。ハイになれたり、機嫌よくしてくれることがわかってくるのですよ。

私の場合だと、代替行為の究極はサーフィンで、これはアル中ならぬサーフジャンキーになってしまうほど中毒作用が強く、それゆえ非常に有能ではあるのですが、ただ、海まで何時間もかけて行ったり、とにかく一日がかりになって大変です。少なくとも手軽ではありませんし、これから断酒の一助として始めようという方にはハードルが高かったりします(それでもそれだけの価値はあります。こちらをご参照いただければ幸いです)。

で、手軽なこと――たとえば5分間だけでも筋トレをする、床に掃除機をかける、代替行為の王道(?)である甘味摂取でいけば小さな大福一個食べる――そんな簡単なことでも簡単にご機嫌になってくれるのは本当にありがたいものだと思います。まさに「はるこsober-curious」さんのご指摘通りです。

もちろん「簡単にご機嫌」になるためは、最初はある程度自己暗示のようなものも必要ですが、慣れてしまえば、本当にご機嫌になれるから不思議ですわ。飲んでいたら、そんなことを実感もできなかったでしょう。それが酒に捉えられているということなのでしょうね。

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