酒やめて、1610日。
「自分だけは」はアル中に限ったものではない?
千葉県八街市で飲酒運転のトラックが児童の列に突っ込みを5人を死傷させるという衝撃的な事故が起こりました。飲酒運転の罪深さが改めて確認され、何かドラスティックな手をうたなければいけないところにまで来ているのは自明ですが、個人的には、これは飲酒運転だけの問題だけでなく、酒の存在そのものに関わってくることのような気もしました。
この運転手は仕事帰りに飲酒したということで、自分だけは大丈夫だと思っていたのではないでしょうか。
「自分だけは大丈夫」という正常化バイアスはよく知られていて、飲酒者に限ったものではありません。人間が持っているある程度本能的なものなのかもしれないです。ただしそれは、飲酒習慣によって確実に促進されます。
アル中が、飲む理由として「あいつはアル中だけど俺は違う」と言い出すことは、断酒者業界(?)では有名ですけれども、アル中に限らず、飲酒習慣が深度化すると誰もがこういう心理&言動を発現します。飲酒によって、本能が肥大し顕在化するということです。
私の周りにもいます。俺は大丈夫だ俺はアル中じゃないと言いながら飲んでる連中が。そんなことをことさらに言わなくてもいいのに、と思います。言ってしまうから、自己正当化している(だからアル中に一歩踏み込んでいる)とバレてしまうのです。
ちなみに私はアル中時代、まさにそのアル中であるところの「あいつ」でしたので、周囲のアル中予備軍に安心感を与え、アル中化を助長する存在だったかもしれません。
ともあれ、飲酒習慣による肥大した自己正当化は、いろんなところで社会との軋轢を生みます。今回の事故は、その最悪のケースだったのかもしれません。
自己正当化を肥大させる三大要素
このブログでも再三訴えていますが、酒は脳の構造を変えるのです。そして加齢が「×」されると、それがますます悪い方向に進みます。
加齢という点では、私が昔一緒に暮らしていた女性も被害に遭っています。高齢者の運転する車にぶつけられ、その加害者が任意保険に入ってなかったのです。そいつの奥さんは、入りなさい入りなさいと口酸っぱく進言していたらしいのですが、「俺だけは絶対に事故起こさないから保険なんか必要ないんだ」と言って頑として聞かなかったそうです。
高齢になると自己正当化が肥大化するのもまた事実で、飲酒習慣がある人間はなおさら、ということですね。
さて、この千葉県の事故を受けて朝日新聞『天声人語』は「凶器から人間を守る手立てが、この国にはまだまだ足りない」というふうに書いていました。これは、まさに朝日の様式美、いや、様式悪です。
この事故に関して悪いのはこの運転手と、さらに範囲を広げてもガードレールを設置しなかった道路行政で、「この国」の人々全員に罪があるわけではない。にもかかわらず、すべての「罪」を日本人の精神性の問題に帰結させるところが朝日のドラマツルギーてやつです。
朝日をはじめとした左がかったメディアは、いつも「自分だけは違う」といった視点で日本人全体を見下しています。そう、「左翼」も自己正当化に拍車をかける一大要因です。飲酒習慣×老害×左翼思想は、最悪のかたちで世の中に害悪をもたらすと言い切っていいのではないでしょうか。いや、マジで。