「飯塚幸三被告が刑務所に入らない」意味を断酒者なりに考えてみると。

酒やめて、1355日。

飯塚事件はひとつのアイコンに昇華する!?

池袋で暴走事故を起こし2人の命を奪い、9人を負傷させた飯塚幸三被告の裁判が行われていますが、仮に実刑判決が出たとしても収監されない、つまり刑務所に入らない可能性が高いそうです(参照「池袋暴走事故の飯塚被告は実刑判決でも「執行停止」か…90歳以上で初収監の前例は?小川泰平氏が解説」)

一般人の感覚からすれば納得がいかないことではありますが、収監には「年齢の壁」があるそうで、おそらくそうなるでしょう。

このことの是非についてはいろんな議論がなされると思われますが、一つ言えるのは、これはある種アイコン的な事件となり、世代間対立がますます深まるきっかけになるのではないか、ということです。大げさに言えば、飯塚事件以前と以降では時代が変わってしまうのではないでしょうか。

実際、高齢運転者が子どもの命を奪う事故はよく起きています。もちろんメディアの常として恣意的にそうした事件を選んで伝えている側面はあるでしょうが、それはとりもなおさず、世間の関心が高く、高齢運転者に対する潜在的敵意も醸成されている証拠でもあるのでしょう。

実際問題、歩行者としても運転者としても、高齢運転者の目に余る部分は多々あります。書くと思い出して(せっかく断酒によって得ている?)精神の安定が乱されそうなので書きませんけれども、もはや高齢運転者は、時代劇の中で馬上からどけどけと言って町人を蹴散らすお侍といった感じです。そして飯塚事件が示すように、そんなお侍が町人を切り殺したとしても切り捨て御免になってしまうという印象さえあります。

運転以外にも、コロナを通じて高齢者のご無体なふるまいを多くの人が目にするようになっていて、それは「老害」というかたちで社会悪として認識されていますが、私も含めてこれから老いへと向かう世代は、もろにその被害を被るであろうと戦々恐々としている次第であります。

ともあれコロナ禍を背景として、そしてこの飯塚事件をきっかけにして、老害狩りのような極端なことが起きても何の不思議もない世の中になっていくでしょう。

そうした中、どう生きていくか、ですが、断酒ブログ的には、酒をやめるのがいろんな意味で手っ取り早いということになります(笑)。

高齢者を優遇しすぎる社会に対抗していくために!

このブログでもさんざん書いていて恐縮なのですが、人生は時間とお金とエネルギーという三大要素でできていて、それを取り戻すために断酒という行為があります(参考・たとえば「時間とお金とエネルギーを得るだけじゃない。断酒はそれらの相乗効果をもたらすものなのだと強く主張したいのであります!」)。

そしてこれは当然ながら、若ければ若いほどいい、ということになります。

飯塚被告が収監されないのもその一端なのでしょうが、日本は、極端なまでの高齢者優遇の社会システムづくりを行ってきました。いずれ詳しく書きたいと思いますが、ベーシックインカムがもし実行されるとするならば、それは戦後初めてといっていい「高齢者よりも現役世代」優遇施策であり、画期的だと思います。

とにかく、そんなふうに「老人に奉仕する若者」の社会構造を変えていくことが、日本がサステナブルであるためにまったなしの要件と言えるでしょう。

で、同様に、人生がサステナブルであるためには先にあげた三大要素が必要不可欠であり、サステナブルという概念を取り入れれば、当然ながら、若い時こそ意味を持つわけですよ。この三大要素によって「経験」が生まれ、その経験を自分の価値を高めることに使うのは、先の人生が長ければ長いほど意味を持ちます。

このことが、何かと高齢者優遇の中で、若者が唯一持っている「特権」ではないでしょうか。酒をやめればその効用を最大限にできるということですよね。うらやましいです。高齢者優遇社会が気に入らないなら酒やめてみるという三段論法(?)も完成してしまうかもしれません(笑)。

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