「酒しか楽しみがない」問題を考えてみる。

酒やめて、2586日

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「趣味 飲酒」でトクトクとしていたが……

よく、酒をやめられない理由として「酒しか楽しみがない」が挙げられます。いや、まったくもって私もその通りでした。俺から酒をとったらどうなるねんというやつですね。酒を飲むことがアイデンティティと化しているから厄介なのだという話も以前書かせていただいております(参考「「呑兵衛=アイデンティティ」になってしまうから、飲酒はタチが悪いのですよ」)。

いやー、酒しか楽しみがないんすよーなどと言って飲みつつ、人生の拠るべきところをそこに求め、俺はそういう人間だと主張していたのです。

でもって、案外そういう人は多いのではないかなあと思い、またブログの検索ワードとして「酒しか楽しみがない」というものが目についたりもしますので、PVアップ(?)のあざとい思惑もあり、以下、この「酒しか楽しみがない」問題について考察(?)してみたいと思います。

えーとですね、「酒しか楽しみがない」という事態は、要は酒が趣味ということですよね。私なんぞ大昔の新入社員時代、社内報(というものがかつてはあったのだ。会社版学級新聞みたいなもんですな)の新入社員紹介欄に「趣味 飲酒」と書いたりもしていました。

「趣味 飲酒」と「趣味 〇〇」の決定的な違いとは

そして「趣味 飲酒」というところのものは、他の趣味とは決定的に違うことがあると思うのです。それは、その趣味についてスキルアップしないということです。

そりゃ「趣味 飲酒」だと酒には強くなるなるでしょうけど、酒に強くなるということはアル中リスクも高くなるわけでスキルアップとはとても言えないでしょう。それによく知られているように「酒に強い」は、いわゆる肝臓エリートであり、だからたくさん飲めてしまい、その分、脳は確実にあぼーんされてしまうのでかえってヤバいです。

よく「俺は肝臓の数値が大丈夫だから(お前と違って)飲んでもいい( -`ω-)キリッ」の輩がいますが、それは「俺はどんどん脳を劣化させている」と言っているみたいなもんです。そもそも、そういうことを訊かれもしないのにアピールするのが、脳がやられているなによりの証拠です( -`ω-)キリッ

それはともかく――。私の場合、酒やめてようやく気づいたのですが、酒以外の趣味は、その趣味に関してスキルアップするのですね。スポーツがその典型でしょう。ランやスイムは私のようなジジイでもある程度タイムが伸びてくれますし、筋トレにいたっては「こんなんぜってー無理」だったことができるようになるのだから驚きですよ(参考「ジジイになっても身体は「応えて」くれるもんだという話」)。

このあたりの事情は文化系の趣味も同じですよね。読書や映画鑑賞などを通じて、教養という人生のスキルが確実にアップしていきます。

つまり「趣味 飲酒」すなわち「酒しか楽しみがない」状態を脱して、何か別の趣味を始めるのは、スキルアップすることに他ならない。まー毎度毎度、お前は何を当たり前のことを言っとるんだ、ではありますが。

ただ「趣味 飲酒」と「趣味 〇〇」には決定的な違いがあることを強調いたしたく、そこに「酒しか楽しみがない」の特殊性があり、だから酒をアイデンティティにするのは成長がないということなのだなあと、今さらのように考えるのであります。その伝でいくと私の場合、数十年間、成長がとまっていたわけで、怖い怖い。

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