「習慣」があることの、なんとありがたいことか。酒飲んでいたらできません。

酒やめて、2402日

habit

念仏も心を整えるためか

一昨日、「富裕層の「開運好き」がなんとなくわかるような気がしてきたのだった」といった話を書かせていただき、その中で、筋トレは「最強のソリューション」という点で神に匹敵するという珍理論を展開しました。でもって、神といえば仏でありますが、まあ仏様にも匹敵しますよね。というか共通点があります。

浄土宗系の場合、念仏を唱えるのですが、それには心を整えるという側面もあります。ですから一昨日も書きましたが、これも人生好転のための「科学」だったりするのではないかなあと思います。そうしたところが、筋トレと同じである、と。

ついでに言えば、信仰は念仏だけでいいとしたのは法然上人だそうですけれども、それをさらに発展させたのが親鸞上人で、親鸞の教えをつきつめれば、なーんもせんでええで、もうすでに阿弥陀如来様によって極楽往生が決定しているんやから、というものです。

が、この親鸞の教えというかメソッド(?)は、当時はまったく流行らなかったそうです。人間の、何かしたいという根源的に要求に応えていなかったからだといいます。そこで中興の祖の蓮如が御文と講というメソッド(?)でそれに応え、以降、本願寺派は大隆盛を誇るようになったと歴史は伝えています。

「習慣」を持つことがファーストステップ!?

そうなのですよ、「何かしたい」というのが結構ポイントです。

私も酒やめた時に、あまりにも無聊なる時間が増え――よく言えば、時間がわさわさ湧いてきて、ただし、酒やめたからといってそれまで失ってきた信頼がすぐに回復し仕事が増えるわけでもないので、要するになーんもやることがないという時期があったのです。

むろん稼がないと食っていけないのですが、ちょうど子どもが大学を卒業しお金がかからなくなったというラッキー(?)もあって、思いきり生活をミニマムにすることでしのげたと思います。でもミニマムイコールお金がかかることはできないので、ますますもってやることがない。

このまま無聊が続けばまた……みたいなときに応えてくれたのが、筋トレだったのですね。

筋トレは自宅でやればタダだし、念仏と同じです。そして念仏と同様に、心を整えてくれる「科学」でもあります。

そうやって心を整えその上で行動すると人生が好転し、ますます心が整う――というと綺麗事のようですが、そういう好循環にもなっていたようにも思います。

しかしねー、このような「好循環」は私のそれまでの人生でついぞなかったことなので、これだけでも酒やめた価値があったのかなあとも思いますよ。

なので、酒やめたらまず筋トレみたいに簡単にできることを習慣化するというのは、結構王道であるように思います。

そして酒飲まなければ、それまで封印されていた、他の行為での脳汁噴出が復活しますので、それが「習慣」のモチベーション足りえると考える次第であります。

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