飲食店は酒で儲ける。この収益構造が明らかになった感は確かにありますね。余計なお世話ながら。

酒やめて、1554日。

酒ディストピアは、酒飲みの意識構造も変える!?

ちょっと前に、3回目の緊急事態宣言に伴う飲食店での酒類提供禁止による路上飲みの普及ということについて書かせていただきました(参考「コロナ禍における「酒ディストピア」化が、断酒の追い風になるのかならないのか。断酒者なりに考えてみた!」)。警察への通報や自粛警察と呼ばれる老害も出現し、世の中は完全に酒ディストピアと化しているようですね。

ただ、このようなことを経て、アフターコロナにおいては、酒との付き合い方もずいぶん変わるんだろうなあと思ったりしますよ、断酒者としても。余計なお世話ながら。

一つには、路上飲酒あるいは宅飲みということが飲酒文化のなかで大きな割合を占めるようになると、酒って自分で買えばこんなに安いものなんだなあという印象をあらためて持つ層は確実に拡大するでしょう。

それは断酒者が酒やめてから実感していたことでもあります。私なども、お酒を飲まなくなってから、飲食店を利用する際に酒を飲まないと本当に安い、ということをしみじみ感じます(参考「飲まない家族連れは本当にコスパの良い店を知ってますよね。それに比べて呑兵衛というところの者は(苦笑)」)。これはスシローなどの「食事」が主である店はもちろん、居酒屋でも、ですね。ですからやっぱり飲食店の収益構造は、酒に拠っている部分というのが大きいのですね。今さら、ですが。

そして「今さら」マターではあるけれども、今回、酒ディストピアというところのものを通じて、それがあらためて世の中の常識化していくのではないかということを指摘したいのでありますよ。余計なお世話ながら。

酒文化の激変を高見の見物!?

それにしても飲酒時代を思い起こすと、たとえば焼き鳥1本60円といったような激安店でも、生ビールは450円とかしていたわけです。そしてその店のことではないけれども、その450円の生ビールの泡が、注ぎ方が下手でやたら多かったりとか、あるいはジョッキが、おそらく他のものと一緒に洗っているのでしょう、なんか生臭かったりすることもしばしばあって、やっぱりなんだかなあな気分になっていました。それでも「生おかわりお願いします!」とか言ってカバカバ空けていたんだから、考えてみればおこの沙汰です。非常にコスパが悪い、というよりも、世の中の他のものの価値と見合ってないような気がします(逆に言えば、注ぎ方や温度などをきっちり管理しているビアホールの生はコスパがいいってことですよね)。飲酒時代でさえそう感じていたのだから、今はもちろんそういう思いが非常に強いです。

今、一部の飲食店は給付金バブル状態となり賛否両論呼んでいますが、一方で本当に必要な人が助けてもらっていない現状もあるわけで、そうした不公平感を背景に、一部の飲食店に対する世間の風当たりというものが強くなっていくことが考えられます。酒ディストピア化をきっかけに、飲食店との付き合い方をもう一度考える時代に突入ということになるのかもしれません。

まあそれをまったくの圏外から眺めているのも、断酒者ならではのことかもしれませんね。高みの見物なのか、低みの見物なのか、わからないけれども。

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