余計なお世話ながら、飲酒者の「着地点」を考えてみまして。

酒やめて、2320日

「飲まない勢力」が半分近く!

一昨日、同窓会というほど大げさなものではないのですが、学生時代の仲間の例会がありました。その体験を通じて(大げさ)飲酒について考えたことをちょっと書いてみたいと思います。

まず感じたのは飲まない勢力が――乾杯の一杯だけという人も含めれば、すでに半数近くになっているということです。では学生時代からそうだったかというと、あまりにも遠い昔で記憶も定かではいのですが、そういうことでもなかったと思います。みんな付き合い程度(「乾杯の一杯だけ」ではなく)には飲んでいて、それはサークルの先輩の圧力などもあったのかもしれません。

でも、そんなに大量に飲むわけでもなかった。何しろ金がなかったので飲みたくても飲めなかったのですね。他の物価に比べて酒の価格が、今と比べれば相対的にめちゃ高かったですから。いつも書いていますけど、ストロングゼロみたいなコスパよく酔える(破壊してくれる?)酒はもちろん、発泡酒や第3のビールの類もなかったので。なので、べろんべろんになる前に金がなくなって終わり、みたいな感じだったかと。

だから、全員の飲酒スタート地点は同じだったといえば同じだったわけですよ。そこからの飲酒歴がそれぞれ異なり、今のようになっている。

それでも飲む人間は、ずーっと飲むのだ

少数派ですけれども、今もガンガン飲んで酔っ払って寝ちゃう人間もいます(会えるのは年に一回なのに!)。

一方で、必然があって酒やめたという人間は私だけなのですが、「自然に飲まなくなった」「もう酒はいいや」という人はわりに多いです。そういう人だって学生時代は飲んでいたのです。

繰り返しますが、飲んでるやつは飲んでるんですよ。相変わらず。そしてジジイになっているので酔い方も激しくなり、横にいる奥様にたしなめられたりもして、帰ったら怒られたりするのかもしれません。でもまあ、それはそれでいいのでしょう。我々世代はたぶん最後の「アル中になる自由がある」世代であり、その自由を謳歌できる人間もなかにはいるということです(私はもちろん違うけど)。

ともあれ、学生時代のスタート地点が同じでも、そして私みたいに強制的にやめなくても、だんだん分化していくということですね。

で、言いたいのはここからでありまして、なんとなく自然に飲まなくなったという人が一定数いるにせよ、それを自分に当てはめてはならんということです。余計なお世話ながら。

しつこいようですが、飲む人はずっと飲みます。そしてだんだん飲まなくなるという人が一定数いることをもってして、人類全般(おおげさ)がみんなだんだん飲まなくなる、酒量が少なくなる、だから自分も自然に酒やめられるという「信仰」を持ったらヤバいということです。以前もこのことについては書いていますが(だんだん酒量が減ってやがて飲まなくなるなんていう「軟着陸」は現実にあるものなのか)、同窓会で確信した次第でございます。

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